青い蔵王権現を拝しに 奈良・金峯山寺
行きたいと思いながら遠いな〜と
半ば諦めかけていた吉野。
でもやっぱり行きたい!!
蔵王権現が拝めるうちに…
とワタクシにしては準備万端で出掛けました。
本当は「青の交響曲」に乗ってみたかったけど
京都からの当日予約では満席でした><
ケーブルカーに乗って吉野山駅まで行き
徒歩5分ほどで黒門に到着しました。
ここからもう少し歩きます。
途中に大きな銅鳥居(かねのとりい)があります。
創立年代は不詳ですが『太平記』などによると
天平3年(1328)の兵乱で焼失したと記述があり
その後に再建されますが宝永3年(1706)に類焼し
真木を焼きましたが正徳元年(1711)に再興。
銅製の鳥居としては現存最古のものだそうです。
俗界と浄界との結界、つまりここからは聖域ということ。
8.2mという高さに驚きです。
国宝の仁王門に到着、でも修理中〜。
金峯山修験本宗の総本山です。
やっと来れた〜と感動もひとしお。
仁王門のところから山並みを眺めて。
飛鳥時代から聖地として知られていたそうです。
白鳳年間(7世紀後半)修験道を始めた
人々を救い、悟りの世界に導くために
金剛蔵王権現を彫刻してお堂を建てて祀りました。
そしてこれがそのお堂、蔵王堂です。
金峯山寺の始まりとなった場所。
現在のお堂は天正20年(1592)頃に
豊臣家の寄進で再建されたもの。
高さ34m、奥行き、幅ともに36mと大きい!
ここに本尊の蔵王権現が祀られています。
重文の木造蔵王権現立像は過去・現世・未来を象徴する三体から成り
秘仏ですが行事があるごとに度々御開帳されているようです。
という名目で12月11日まで御開帳されています。
すぐ近くまで行くことができるし個室?みたいなところに入って
周りを気にせず拝めるのが素晴らしい!
現在の像は天正18年(1590)の銘があり
大きさは中尊が7.2m、右が6.1m、左が5.9m。
蔵王権現はインドに起源を持たない日本独自の仏。
権現とは仏が姿を変えて現れたものという意味で
本地仏(本来の姿)としているそうです。
釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が姿を変えたものということですが
憤怒の表情や、炎のように見える光背から
不動明王のほうが近いような…って思ったけど。
何で青いのか?はわからずじまい…。
圧倒されてしまう大きさと色が印象的でした。
納経所は本堂外の拝観受付横と本堂内の出口付近の二カ所。
気になっていた木製の御朱印帳は拝観受付横の納経所にて。
表紙だけでなく、中面も吉野杉で作られたもので
めぐる時に使う御朱印帳だそうです。
でも専用って訳ではないので他でも書いてもらえそうですが
墨や朱を吸いにくいようなので書きにくいかも…
霊場になっている寺社で使うのが良さそうです。
持参した御朱印帳にも書いていただきました。
十一面観音を祀っており御朱印もありますが
御朱印は愛染堂へ、という看板が出ていました。
隣の愛染堂へ。
愛染明王を祀っているのですが中は誰もおらず…。
とりあえず、そのあたりに居た人に
御朱印はどこで?と聞いてみるも本堂の方で聞いてくださいと…。
本堂へ行ってみると電話で問い合わせてくれて
拝観受付の横の納経所へ、ということで戻ることに!
ということで再度、拝観受付横の納経所に戻って拝受。
本来は愛染堂でしているそうなのですが
この日はたまたま人がおらず
こちらの納経所だった、ということらしい。
写真はありませんが「愛染明王」も無事にいただきました。
境内には天満宮もありました。
神仏習合してますねえ〜。
後醍醐天皇の行宮となった実城寺跡に建てられた
小さいですが重文の本尊・釈迦如来を安置。
がらっと開けて見たり中に入ることもできます。
ここで南朝として政務をとろうとしますが
ここが選ばれたのは吉野大衆と呼ばれる
金峯山寺の僧兵がたくさんいたから、とか。
守ってもらえそうな場所だった、ということかな。
皇室の異端児・後醍醐天皇、嫌いじゃない^^;
むしろ気になる存在です。。
もうちょっと吉野を深く探索して
後醍醐天皇の足跡をめぐりたいなあ。
佛舎利宝殿を横目にどんどん奥へ。
この先に脳天大神があり、
そちらも御朱印があるということで
約500段の階段がありますが行ってみますよー!
続きは後日。
御朱印まとめ
拝受場所/拝観受付横の納経所又は本堂内
★紀伊山地三霊場会の御朱印帳(木製、16×11cm)2000円
★本堂「蔵王堂」
★観音堂「十一面観音」
以上、金峯山寺でした。
そろそろ見頃を迎える寒ぼたん 奈良・石光寺
葛城市染野にある石光寺。
當麻寺から北へ徒歩約10分
本当は5月の時に寄りたかったけれど
時間切れして行けなかった石光寺に来ました。
シーズンオフって感じの境内…
石光寺は天智天皇の勅願で創建された古刹。
開山は役小角と伝わります。
現在は浄土宗で山号は慈雲山(じうんさん)。
本堂には本尊・阿弥陀如来があり中で拝めます。
ちょっと歩き疲れたのでお参りがてら休憩。
本堂の隣には弥勒堂があります。
平成3年(1991)の発掘調査で飛鳥時代後期の
石仏(当時の本尊)、瓦などが出土したそうです。
平成3年ってついこの間じゃないですか…!
弥勒堂と白鳳弥勒石仏の御開帳は1月1〜31日。
春ボタンが見頃の4月20日〜5月20日も臨時開帳されます。
こちらの御開帳とも予定合わず…。
弥勒堂の向かいに中将姫染の井、糸掛櫻の石碑があります。
中将姫が當麻曼荼羅を織った糸を染めた場所。
石光寺に井戸を掘り、糸を浸したところなんと五色に!
染まった糸を桜の木に掛けて干し當麻曼荼羅を織ったのです。
石光寺は別名「染寺」とも呼ばれ
現在の地名「染野」もここからきているんでしょうね。
奥の方へ歩いていくと鐘楼があり
その向こうにはぼたん園があります。
寒ぼたんの開園は行った日の3日後から…。
またしても予定が合わず…><
當麻寺近辺っていつもシーズンオフばかりに来てしまう。
5月に来た時もぼたんは終わっていたし…><
見た感じまだまだ咲いていませんが
ホームページによると見頃は12月5日ごろから
ということでしたので、そろそろ見頃を迎えますね。
受付に戻って御朱印帳をお迎え。
御朱印は三種類ありました。
写真の他に本尊と同じ阿弥陀如来ですが
関西花の寺二十番の札所印のものがあります。
ネット情報によると4月20日〜5月20日の
臨時開帳の時は「中将法如」の御朱印が
1月1〜31日の御開帳時は「白鳳弥勒石佛」が
いただけるみたいですね。
石仏、見てみたいし1月に再チャレンジしようかなあ〜。
御朱印まとめ
拝受場所/拝観受付
★関西花の寺第二十番「阿弥陀如来」
以上、石光寺でした。
尼となった中将姫が住んだ場所 奈良・當麻寺護念院
西南院に続いて伺ったのは
東隣にある護念院です。
こちらは浄土宗の寺院になります。
中将姫が尼となってから住んでいた場所で
毎年命日の5月14日に営まれる練供養会式では
この時に使う菩薩面や装束など
すべてを管理されているそうです。
門を入って右側に本堂。
ある?みたいなんですが、中は見えません。
左側の客殿の南側に双塔園という
庭園があるので行ってみます。
池を通り過ぎて…
西塔の裏側、といいますか
西南院から見ていた方向とは逆から見ています。
こちらのほうは近くまで行けます。
またまた登って八幡山展望台まで行ってみましたが…
木々が生い茂ってなにも見えません><
ここはボタンが見頃の4月下旬〜5月上旬がいいですね。
双塔園という名前からして
ふたつの塔が見られると思ったのですが
見えたのは西塔だけ?のようでした。
見逃してたのかな〜?
庫裡でいただいた御朱印です。
右側が通常の御朱印ですが
左側は熊本地震復興支援の限定御朱印。
まだ復興には時間がかかるということで
いつまでという期間は設定していないそうです。
意外なところで復興支援することができるとは
受ける側としても嬉しいですね。
御朱印まとめ
拝受場所/庫裡
★左・熊本地震復興支援限定「二十五菩薩」 500円
★右・本尊「中将法如尼(ちゅうじょうほうにょに)」
以上、當麻寺護念院でした。
しだれもみじの美しい庭園 奈良・當麻寺西南院
紅葉シーズンも終わりかけていますが
これからでも間に合いそうなのが
當麻寺西南院のしだれもみじです。
5月に続いてまたまたやってきた當麻寺。
葛城市當麻にある當麻曼荼羅を本尊とする寺院です。
前回は本堂・金堂・講堂のほか
子院の奥之院、中之坊、宗胤院にて
御朱印をいただいていましたが
西南院と護念院に行けなかったので今回はその二院へ。
本堂の奥の南側にある西南院。
しだれもみじの看板に惹かれます。
白鳳12年(672)當麻寺が創建された時
裏鬼門の守り寺院として創建されたのが西南院です。
「いろは歌」を考えられたそうです。
それ以降は真言宗となりました。
門を入って右側には本堂があり
本尊の十一面観音や聖観音、千手観音がありますが
拝観できるのは5/13〜15と11/23〜30の特別拝観時のみ。
この日は22日だったので翌日から公開だった><
なんだかタイミング合わないなあ。
ということで庭園へ。
入ってびっくり、紅葉と塔の美しきコラボレート。
江戸時代初期に造られた庭園を
中期ごろに改修された池泉回遊式庭園。
樹齢300年を超える3本の紅葉越しに
見下ろすように書院を望む風景は
他にはない独特の世界です。
かなり起伏のある庭園で登るのは大変ですが
ここからの景色は格別です。
三本の紅葉は黄、橙、赤に染まるそうですが
この時は赤は見頃、黄はもうちょい、橙はまだ緑でした。
西塔の近くまで行ってみました。
平安時代初期の建築で国宝。
お寺の伽藍といえば西塔と東塔を揃えて
完成するようですが、塔は雷や火災に弱く…><
日本の古塔で東西両方残っているのはここだけだそうです。
もう一カ所、紅葉とふたつの塔が見られる場所があるので
一旦降りてまた登って…ハアハアしながら到着。
見晴し台というここからの眺めが最高!
ちょっと登りますがぜひ行って欲しいところです。
塔のまわりを紅葉でぐるりと。
本堂側を見下ろしてみても眺めがいいです。
赤緑のミックス天井紅葉もまた趣きあり。
ホームページによると
赤は散り始め、黄色が見頃だそうです。
橙はこれからかな?
庭園には水琴窟もあり美しい音色が響いていました。
よくあるのは耳を傾けてやっと聞こえるというものですが
こちらの水琴窟は近くまでいけばきれいな音が聞こえます。
透き通るような音色にしばしうっとり…。
庫裡に戻って預けていた御朱印帳をお迎え。
御朱印は三種類ありました。
さすが関西花の寺の札所だけあって美しかった。
次は4月か5月に訪れたいものです。
御朱印まとめ
拝受場所/庫裡
★本尊・十一面観音「観自在」
★左・仏塔霊場第八番「観音菩薩」 ★右・関西花の寺第二十一番「大悲観」
以上、當麻寺西南院でした。
12月16日は御開帳! 俊乗堂と念仏堂の御朱印 奈良・東大寺念仏堂
7月5日と12月16日に御開帳される
鐘楼の隣にある東大寺の俊乗堂。
7月のタイミングに合わせて行ってきました。
俊乗房重源上人を祀るお堂です。
特別開帳の看板が出ていました。
過去に行った時の記事はこちら
大仏殿の東側の階段を登ると丘のようなところに
鐘楼といくつかのお堂があります。
写真の左側が俊乗堂です。
年2回の御開帳なのにとても静かでした。
午後に到着したので午前中は法要などで人も多かったそう。
御開帳時は写真の右側から入ります。
重源上人の座像はよく写真で見ますが
やっと実物を見れた、というくらいしかなかったですが
愛染明王が黒くなっているのにもかかわらず
朱色も残っていて印象的だったな…
足に釘を打ち付けた跡があるという阿弥陀如来は
うーん、釘の跡まではわからなかったなあ。
奥の行基堂もこの日は扉がオープンに。
いつもは覗き見るくらいしかできないので貴重ですね。
御朱印は俊乗堂の外側で受付けていましたが
ワタクシが求めているのは裏メニューなので
それを欲しい旨伝えると念仏堂へと言われました。
また堂内を拝観させていただきました。
今回、追加でいただいた三種類。
閻魔さまはお地蔵さまとセットということで
お地蔵さまの裏側にあったそうです。
これらはサンプルが出ていませんでした(7月5日の時点)。
御開帳日限定というわけではないようですが
欲しい人は希望をする旨を伝えてください。
書くのに時間がかかるそうですので
時間には余裕をもって伺ってください。
12月16日は俊乗堂に加えて開山堂も御開帳されます。
開山の良弁(ろうべん)僧正を祀っているお堂で
二月堂の向かいにあるそうです。
俊乗堂と合わせて行かれるといいですね!
御朱印まとめ
拝受場所/念仏堂の隣の納経所
★「閻魔王」(裏メニュー)
通常いただける(サンプルが出ている)もの
★「地蔵菩薩」
★「重源上人」
★「愛染明王」
★「行基菩薩」
★「阿弥陀如来」
以上、東大寺念仏堂でした。
お城でもついに御朱印が…! 京都・元離宮二条城
最近はお城でも御朱印がいただけるとか…
拝受できるという情報は得ていますが
二条城でも拝受できるようになりました。
東大手門は修復中なので唐門へ。
唐門が修復完成してから来るのは初めてでした。
以前来たのは4年前の春だったかな?
近辺はしょっちゅう通るのですが…
御朱印がないところへはとんと行かなくなってしまいました^^;
車寄から入ります。
慶長8年(1603)徳川家康が京都守護と上洛時の宿泊所として造営。
徳川家光が伏見城の遺構を移すなどして寛永3年(1626)に完成。
数々の歴史的なイベントが行なわれた場所でもありました。
そういえば来年は大政奉還から150周年で
記念イベントなどがおこなわれるそうで楽しみですね。
中では撮影禁止なので外から。
いろんなお寺などへ行ってからここへ来ると
ゴージャスさが違うなあと実感します。
何から何までお金かけてるなあ〜と。
さすが将軍さまです。。。
二の丸庭園を歩いてみます。
この日は雲ひとつない青空でどこを撮っても奇麗!
本丸庭園へ向かう途中の堀と石垣。
右側の建物が本丸御殿ですが入れません。
家光によって増築されたものですが
明治26〜27年(1893〜94)に移築したもの。
天守閣は寛延3年(1750)落雷によって焼失。
この階段を登って天守閣があった場所へ行けますが
今回はやめておきました。
二条城は桜なイメージですが紅葉もちょっとだけ。
本丸を出るところの燃えるような紅葉。
堀に写る紅葉も美しや。
北側にある昭和に造られた庭園、清流園へ。
桜や梅は南側のほうがいいかもしれないですが
紅葉の季節は北側のほうがいいですね。
市民茶会なども催されていますが
連休中だったりするのでなかなか行けません。
いつかは行きたいなあ。
最後に休憩所にある売店で御朱印型の「入場符」を拝受。
売店の横にはカフェができていたり
センスのいいお土産が登場していたり…
二条城も進化していますね。
御朱印まとめ
拝受場所/休憩所内の売店
★「元離宮 二条城」(日付以外は印刷)
以上、元離宮二条城でした。
座って拝する神社 奈良・談山神社
室生寺からも飛鳥からも程近い紅葉の名所。
ですが時間がないワタクシは出直して
またまた桜井まで遠征してきました。
近鉄、JR桜井駅からバスで約25分。
11月27日までは奈良交通の臨時バスも出ています。
駐車場は第五パーキングまでありました。
こういう場合、第一パーキングが一番近い
と思ってしまいますが、ここは違いました。
第一に置けたとしても長い階段を降りた先に入口があります。
つまり帰りは長い階段を登るハメに…><
一番近いのは第五パーキングなんです。
第一が一番近いと思ったのにって文句言ってる人がいました^^;
お昼頃に到着しましたが広い第一も近い第五もいっぱいで。
平日でそんな感じでしたから週末はどうなることやら。
14時頃に帰る頃には空きがあったので早めに行くか
14時以降の遅め到着かずらしたほうがいいかも。
参道にはお店が出ていて賑わっていました。
ちょっとした食事をできるところもありますが
あまりゆっくりできないので食べ歩き程度がいいかも。
ご祭神の藤原鎌足(談山大明神、談山権現)は
蹴鞠会で出逢い、この神社の裏山で談合し
大化の改新を成し遂げたのでした。
石段を登って拝殿へ。
石垣があるということは
要塞としての機能もあったのかな?
拝殿を下から見たの図。
藤原氏の始祖となった翌日に逝去。
天武天皇7年(678)唐から帰国した
長男の定慧(じょうえ)がこの地に移し
十三重塔と講堂(現在の拝殿)を建立して妙楽寺とします。
大宝元年(701)には神殿を建て御神像を安置しました。
拝殿の入口です。
人が多くて変な構図になってしまいましたが…
正面の楼門で下足し、右側の拝殿へ進みます。
左側の授与所で朱印受付しているので
先に帳面を預けてから入るとよいでしょう。
ご祈祷でないのに靴を脱いで上がるのは珍しいかも。
なんと中での撮影は三脚はNGですが
普通に撮影するのはOKでした。
本殿は嘉永3年(1850)の再建。
豪華絢爛な春日造の本殿が煌めいています。
この前で拝するわけですが
神社にあるアレがないんですよ。
来ましたよ、の意味で鳴らす鈴がないんです。
神社での作法としてはお賽銭を入れて鈴を鳴らし
二礼二拍手一礼が普通ですが
ここでは座って静かに拝むのが良いようで。
これが正式なお参りの仕方なのかわかりませんが
立って二礼二拍手一礼している人はいませんでした。
神仏習合なのだなあ、と改めて感じました。
紅葉バックに並ぶ燈籠が美しくて。
人気の撮影スポットになっていました。
拝殿内では東京国立博物館に寄託している
「大威徳明王像」と関連する寺宝の展示が
12月11日までおこなわれていますが
それよりも『多武峰縁起絵巻』のほうに興味津々。
蘇我入鹿の首が飛んでいるところとか…!
御朱印が出来上がっていました。
まずはご祭神の御影印のもの。
拝殿を出ると目の前に十三重の塔が見えます。
藤原鎌足の追福のために長男の僧・定慧と
現在の塔は木造の十三重塔としては世界唯一のものだそう。
高さは約17m、屋根は伝統的な檜皮葺きです。
宗派が違う興福寺とは争いが絶えなかったとか。
承安3年(1173)には興福寺衆徒によって
塔は焼かれ文治元年(1185)に再興。
その後も永享9年(1437)大和永享の乱
戦乱に巻き込まれることが多かったのですね。
現在の塔は享禄5年(1532)に再建されたもの。
談山神社のシンボルとあって
撮影している人が多くなかなかうまく撮れません><
変な構図ばかりになってしまいましたが
裏へ廻って撮ったこの写真がお気に入り。
室町時代の塔が今も健在なのは感動です。
塔の近辺は人が多かったですが
紅葉は一番よかったです。
こちらは天禄元年(970)創建された権殿。
祭神は芸能や芸術、魔除け、厄払いの神のマダラ神で
芸能や芸術の上達を祈る場所であり
舞や能の奉納される場所なので通常は上がれません。
現在の建物は室町時代の永正年間に再建されたもの。
奥には摂社が建ち並びます。
龍神社という小さな祠があります。
古神道では天上から神を迎え祭祀をおこなっていました。
ここでいう龍とは大和川の源流のひとつとされ
飛鳥時代に大陸から龍神信仰がやってきて
古来からの水神さまである高龗神と習合し
龍神社と呼ばれるようになったそうです。
一段とひんやりした空気がパワーを与えてくれる気がします。
階段を降りて総社の拝殿に来ました。
総社は境内末社で木造の福禄寿神がでーんとおわします。
木彫りで大きさ3mって書いてあったかな!?
こんなに大きな福禄寿神は初めて見ました。
大和七福八宝の福禄寿はこちらです。
御朱印は通常は帳面に書いていただけますが
紅葉シーズンは書き置きになるそうです。
サンプルは出ていませんのでもらい忘れ
授与所まで戻って受けてきました。
拝殿の裏側に総社の本殿があります。
延長4年(926)に勧請したもので
日本最古の総社だそうです。
総社って…なんだっけ??
特定地域内の祭神を集めて祀った合祀神社のこと。
八百万の神が祀られているということです。
拝殿側に廻るとスペースがありますがここはけまりの庭。
ここで春と秋にけまり祭がおこなわれます。
左正面に見えるのが権殿で右側にあるのが神廟拝所。
藤原鎌足の神像が祀られている場所です。
鎌足の像は教科書にも載っているものかな?
ヴェールがかけられしっかりとは見えませんでした。
他にも障壁画など宝物を見ることができます。
宮司さんが書かれた絵馬が飾られています。
歴史に戻り、天正13年(1585)秀吉の命により
家康によって復興されたそうですが葵の紋はなかったなあ。
室生寺には葵の紋がたくさんあったんですけどね。
明治2年(1869)神仏分離令によって僧徒が還俗。
大化の改新の談合を行なった場所の名前
談(かたら)い山にちなんで談山神社と改称され
別格官幣社に名を連ねて現在に至ります。
参道の石階段へ戻って摂社の東殿へ。
別名・恋神社ですって!?
恋とは無縁の人生になってしまったけれど…行っとくか。
鏡女王(かがみのおおきみ)のほか
社殿は元和5年(1619)談山神社本殿の造替にともない
寛文8年(1668)に移築したもの。
左側にはむすびの岩座(いわくら)があります。
講堂(現在の拝殿)を建てる時、光る石が発見され
神が宿る岩座として祀られました。
パンフレットの写真では赤い柵がありますが
現在では柵はなくなっているんですね。
撫でて縁結び祈願しておきましょう。
拝殿の逆側を横目に見ながら下山。
最後に、遠目から見た十三重塔。
紅葉に埋もれてる…!
さすが紅葉の名所ですね〜。
御朱印まとめ
拝受場所/拝殿横の授与所
★左/「神廟」 右/「談山神社」
★藤原鎌足公神像印
★大和七福八宝「福禄寿神」(紅葉シーズンは書き置き)
以上、談山神社でした。
またまた新御朱印が仲間入り 京都・神泉苑
近くまできたついでに神泉苑に寄り道。
前回きたあとに新しい御朱印できたという情報を得て
また行かなくちゃ〜と思ってたところでした。
今回は北門より進入。
過去の記事はこちら
まずは本堂で参拝。
善女龍王社にお参りするために
赤い橋を渡ります。
この日は抜けるような青空で!
秋に来たのは初めてで紅葉はあまりないですが
天気がいいと何でも綺麗に見えます。
善女龍王社の前に珍しい歳徳神さま。
日本唯一の恵方社だそうです。
足元を見ると‥アヒルちゃんが!?
鯉のエサを売ってるのは知ってましたが
アヒルのエサまで売ってるみたい。
ご飯狙いで来たのねσ(^_^;)
善女龍王社とアヒルちゃん。
池に映っているのもとっても綺麗。
さて寺務所にて御朱印を
…と思ったら、八種類に増えてる!
今回もまた予定になく寄り道したので
御朱印帳を持っておらず別紙にて。
まずは目的だった「御霊會」。
祇園祭はここに国の数の鉾を建てて
疫病退散祈願をしたのが始まりと言われているから。
祇園祭りの期間でなくてもいただけます。
不動明王の御朱印ってもらってたかな?
と思って聞いてみたら
今年から始まりました、とのこと。
でも前回はなかったはず…
不動明王は本堂の向かって右側に祀られています。
覗き込んでみたけれど中は見えず。。
サンプルの存在は書いてもらってから気づいたので
いただきませんでした。
これからも増える可能性があるかも!?
今後も見逃せない神泉苑でした。
御朱印まとめ
拝受場所/寺務所
★左「不動明王」 右「御霊會」
以上、神泉苑でした。
紅葉の“女人高野” 限定御朱印も登場 奈良・室生寺
ずっと行ってみたかった室生寺。
紅葉の見頃に行くことができました。
車窓からも美しい紅葉を眺めながら到着。
11月27日までは紅葉ライトアップ期間で
奈良交通の臨時バスも運行されています。
駐車場は100台ありますが有料です。
橋本屋旅館の間にある赤い橋を渡って向かいます。
この橋の周辺の紅葉が色付きよくって
写真撮りまくってしまいなかなか辿り着きません^^;
室生寺がある室生山は
大昔の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部。
こうした場所は古くから
神々が座す聖地として仰がれていました。
ここにお寺ができたのは奈良時代の末期。
病気平穏の祈願が興福寺の高僧などによって行なわれ
効果があったことから勅命が出されます。
祈祷をおこなった高僧・賢憬(けんけい)が建立にあたり
亡き後は弟子の修円に引き継がれて
宝亀年間(770〜81)に創建されています。
仁王門に行く途中にある三宝杉。
紅葉がはみ出しています。
紅葉に縁取られた仁王門は近代の再建。
こちらの手前にあるのが最初の納経所です。
それぞれ書いていただけるものが違います。
まずはオリジナル御朱印帳をゲット。
寺紋の九目結の紋と葵の紋を配して
織り出された美しい御朱印帳です。
御朱印待ちの時間を利用して仁王門周辺を撮影。
このあたりの紅葉が一番きれいだったなあ。
石碑にかかるグラデーション木がお気に入り。
仁王門を通ってから振り返るの図。
バン字池に写る紅葉。
納経所後ろにある休憩所内から額縁風に。
世にも美しい納経所。
見上げてみてもまた紅葉なり。
そうこうしているうちに御朱印ができあがり
帳面を持って階段を上がっていきます。
振り返ってみると見事なミックス紅葉。
まだ緑の木もありますのでもう少しの期間
紅葉を楽しめますね。
階段を登った正面にあるのが金堂。
兵火はもちろん、雷の被害にもあっていない奇跡のお堂。
中には本尊の国宝・釈迦如来を始め
11月27日まで特別拝観が実施されていますのでぜひ中へ。
本尊のお釈迦さまは赤い衣の色が
まだ少し残っていて優雅な感じ。
元々は三体の仏像のためのお堂だったらしく
二体は後で移動してきたようでちょっと見にくいです。
薬師如来は西国薬師第八番の札所。
女性の入山を禁止していた高野山に対し
“女人高野”と呼ばれるようになりました。
女人高野の象徴ともいえるのが十一面観音。
ふっくら顔が女性らしくちょっと可愛らしい。
お腹を守るように飾りが施された姿から
安産や子宝にもご利益があると信仰されています。
納経所の御朱印リストには出ていませんので注意。
金堂の横にあるお堂は弥勒堂。
本尊の弥勒菩薩立像のほか
脇壇に客仏の釈迦如来座像があります。
平安時代作の国宝で白いお釈迦さまは塑像でしょうか。
「よっ!」とでも言いそうな手の上げ方と
表情が独特で印象に残りました。
役行者の像もこの中にありました。
奥へ進むと灌頂堂があります。
こちらも鎌倉時代の建物で、灌頂をおこなうお堂。
真言宗寺院の中心であることから本堂とも呼ばれます。
御朱印に書かれているのは灌頂堂の別称。
どれかひとつ書いて欲しい時はこちらがいいですね。
読み方は「しっちいん」。
灌頂堂の本尊は如意輪観音菩薩像ですが
この時は修復のため長期出張中でした…。
いつまでとは書いておらず。
「如意宝珠」とは、弘法大師が唐にて
恵果より伝授された密教最高の秘宝のことだそう。
平安時代初期建立の国宝で高さ16.1m。
屋外に建つ五重塔では最小だそうですが
…と思ったら平成10年(2010)の台風で損傷し
二年後に修復して落慶されたものでした。
平安時代にしては奇麗すぎると思ったら
そういうことだったのね。
ライトアップの時はここまで行けるそうで
室生寺創建とも関わりがあるという
龍が映し出されるそうです。
見たいけれど無理なワタクシは
ライトアップ期間限定の御朱印をゲット。
ライトアップの時間でなくても拝受できます。
そして特別拝観した人にプレゼントとして
小さいサイズのファイルいただきました。
これが書き置き御朱印を挟むのにピッタリ。
活用させていただきます。
五重の塔を眺めるベストスポット。
でも紅葉はあまりありません。
さて、五重の塔でUターンする人が多い中
奥之院まで行ってみますよー!
「胸突きの石段」といわれる階段を
休み休みしながら登ります。
見上げても清々しい、これ聖地なり。
すごい懸け造の建造物が見えてきました。
これは奥之院にある位牌堂。
はあ〜、ヨロヨロしながらも無事に到着!
左側に見えるのが先程下から見た位牌堂。
割と新しい建造物なのかな。
奥之院の納経所にて御朱印いただきました。
位牌堂の舞台のところで休憩。
奥之院では紅葉が見られるのはここくらい。
裏へまわると七重石塔があります。
その奥の目立たないところに御影堂があります。
本来はここでお参りすべきなんだろうけど
皆んな位牌堂しかお参りしてないみたい。
扉も閉まっているし、わかりにくいですね。
さて、帰りも慎重に。
角度は急ですが、手すりがあるし
階段も歩きやすいようになってます。
ちょっと小腹がすいてきたので‥
参道で売っていたヨモギ入りの回転焼きをパクリ。
これが美味しかった〜(≧∇≦)
生地はモチモチでボリュームたっぷり。
あんこの甘さが歩き疲れた身体に沁みました。
御朱印まとめ
拝受場所/仁王門前の納経所
★本堂の別称「悉地院」
★大和地蔵十福「如意地蔵尊」
★仏塔古寺霊場第十八番「五秘密菩薩」
★大和四寺巡礼「開悟佛」
★紅葉ライトアップ期間限定「青龍」
(青龍の文字は印刷された別紙)
拝受場所/本堂内
★「十一面観世音」
★「如意輪観世音」
★神仏霊場「如意宝珠」
拝受場所/奥之院
★「弘法大師」
以上、室生寺でした。
祇園会の元となった!? 京都・元祇園梛神社&隼神社
以前、壬生寺へ行った時
この神社にも行ってみよう〜と思ったのに
帰りに寄るのを忘れてしまった><
今回やっと初の参拝です。
京都市中京区壬生梛ノ宮町に鎮座。
この鳥居と石碑は東側のものです。
参拝用駐車場はありましたが周辺道路はかなり狭いです><
四条通に面した北側にも鳥居と石碑がありました。
こちらから入る人のほうが多いのかも…
でも正面は先程の東側になります。
創建は貞観11年(876)疫病を鎮めるために
祭祀を行なった時、牛頭天王の分霊を乗せた神輿を
梛の林中に置いて祀ったのが始まり。
その後、牛頭天王の神霊を八坂に祀ることになり
梛の住民が花飾りの風流傘を立てて
鉾を降って楽を演奏しながら八坂に送ったそうで。
これが祇園会の起源ともいわれている、とか…。
御霊会が起源なんじゃなかったっけ…??
これらはすべて社伝なので真偽はわかりませんが
このことから「元祇園社」と呼ばれているそうです。
ちなみに境内にこんな看板がありました。
手水舎の奥の石が御供石だそうですよ。
梛神社は明治までは小祠だったそうですが
明治7年(1874)と昭和4年(1929)の復興で
現在のような神社になったそうです。
ところで社殿はふたつ並んでいます。
左側が梛神社ですが、右は大正時代に還座した隼(はやぶさ)神社。
四条にあった朱雀院に祀られていた神社で
江戸時代には隼が訛って「ハヤクサ」とも読まれ
瘡(皮膚病の一種)の平穏のために信仰されたそうで
現在でも病気平癒、厄除の神として崇敬されています。
延喜式によると、京中に座す神三座のうちのひとつで
貞観2年(860)朝廷より従五位下の神階を贈られ
天慶3年(940)従三位まで累進して給わったそうです。
石碑にある式内とは『延喜式神名帳』に記載がある
由緒正しい大社である、ということだそうです。
梛神社は明治まで小祠だったということで
町民の信仰の場だったようですが
大正時代に由緒ある隼神社を還座して
神社らしく(?)大きくなったということでしょうか。
ちなみに社殿の並びと同じように御朱印も…
と思ったけれども左右が逆でした…^^;
入口にも御朱印のサンプルが出ていました。
神社ってサンプル出ていないことが多いので嬉しい!
去年までは梛の印がなく、隼神社も違う印だったみたい。
さらに数年前までは墨書きがなく、ふたつの神社の印が
まとめて一枚に押されていたようなので
バージョンアップしたということですね!
これからも進化に期待したい神社ですね。
御朱印まとめ
拝受場所/社務所
★左・「隼神社」 右・「梛神社」
以上、元祇園梛神社&隼神社でした。
だるま商店作画のゴージャスな御朱印帳 京都・壬生寺
新選組が剣術の練習に励んでいた場所
8月に授与開始されて話題の御朱印帳を
やっとゲットすることができました♪
門前にコインパーキングがありますが台数少なめです。
過去の記事はこちら
「地蔵尊」節分祭で福をもらいに壬生寺へ - 晴れときどき御朱印 from yumimi*
「歯薬師」産休明け第一弾は壬生寺 - 晴れときどき御朱印 from yumimi*
「大悲殿」
Hanako取材で頂いた御朱印 その4/壬生寺 - 晴れときどき御朱印 from yumimi*
「大悲殿」(重ね印)
壬生寺にて満願書を受け取り&重ね印の御朱印 - 晴れときどき御朱印 from yumimi*
本堂へ上がってお参りはできませんが
今回は扉が開いていてガラスを通して覗き見できました。
でも遠くてよく見えませんでしたが…。
左側には壬生寺唯一の塔頭、中院があります。
本堂の右奥にある朱印所にて御朱印帳をゲット!
8月から仲間入りした新御朱印帳の装丁画は
寺社の襖絵などを描いてらっしゃる絵師・だるま商店のもの。
だるま商店の島さんとは雑誌Hanakoの御朱印対談で
ご一緒させていただきました。
島さんの御朱印帳も拝見させていただきましたが
御朱印の横に自作の絵を描いていらっしゃって
とても自由に御朱印を楽しんでらっしゃるな〜って思いました。
今回の御朱印帳の絵はお地蔵さまを女性に見立てて
中央には壬生寺の境内が描かれています。
表裏にはクッション材が入れてあり高級感があります。
中面は高級和紙の鳥の子なので、裏移りの心配もナシ!
鳥の子和紙はやっぱりいいですね〜
普通の奉書だと保存する時に挟み紙を入れておかないと
反対側に朱や墨が写ってしまうことも…。
でも鳥の子和紙なら乾いたら紙なしで大丈夫。
2000円の御朱印帳ってちょっと高いと思われるかもしれませんが
デザインも中身も文句なしの一冊です。
御朱印まとめ
拝受場所/朱印所
★御朱印帳(18×12cm)2000円(ビニールカバー付き)
★本尊「地蔵尊」
★洛陽二十八番「大悲殿」
(洛陽巡礼専用の御朱印帳にいただきました)
以前いただいた御朱印
★本尊「地蔵尊」
★京都十二薬師第四番「歯薬師」
★洛陽二十八番「大悲殿」(重ね印バージョン)
以上、壬生寺でした。
聖徳太子の誕生所であり二面石がある 奈良・橘寺
岡寺から自転車で約10分。
ここからは下り坂なので楽チン♪
すぐに到着したのは橘寺。
逆光で読みにくいですが…
畑の真ん中に「聖徳皇太子御誕生所」の石碑が建っています。
聖徳太子は橘寺の近くで誕生したとされています。
橘寺の西門、拝観受付まできました。
門前に駐車場、駐輪場があります。
正式名称は「仏頭山上宮皇院 橘寺」。
聖徳太子が生まれた時、ここには橘の宮という
欽明天皇の別宮があったそうです。
穴穂部間人皇女を父母として572年に誕生しました。
寺伝では推古天皇14年(606)勅願により
聖徳太子がこの地にお寺を建てたのが始まりですが
史実では創建年代不明とのこと。
西門を入って右側は本堂、左側が観音堂です。
本堂への入口はぐるっとまわらないといけないので
本来なら東側の入口が正面ということになるのでしょう。
創建のいわれで面白いエピソードがあります。
すると大きな蓮の花が庭に1メートルも降り積もり
南の山に千の仏頭が現れて光明を放ち
太子の冠から日月星の光が輝き不思議な出来事が起こったそうで。
天皇は驚いてこの地にお寺を建てるように
太子に命じたというのが創建の始まり。
だから正式名称に仏頭とか入ってるんですね〜。
元治元年(1868)建立の本堂に上がってお参りできます。
左側に納経所がありました。
本尊が聖徳太子ということで太子35歳の像を拝めますが
遠すぎてよく見えない…><
太子16歳の像もありましたがこちらのほうが近くで見れました。
本堂前には太子の愛馬・黒駒の像もありました。
橘の寺紋が輝いてる〜!
お向かいの観音堂へ。
如意輪観音座像が祀られています。
上がってお参りできますが、上がってみてびっくり。
その大きさにも、表情も、すごく良かった!
なんだか居心地のいい空間でぼんやりしてしまいました。
本堂よりよっぽどよかったなあ。
観音堂から東のほうへ進むと
太子が作ったと伝えられる阿字池がありました。
こちらが東門で正門ですが階段があるため
ほとんどの人が西側から出入りしているみたい。
いつも裏口から侵入していますが
今回は裏口でも間違い?ではなかったみたい。
聖倉殿という収蔵庫は春と秋のみ公開。
ちょうど公開されている時だったので入ってみました。
秋の公開は11月6日までだったので
次は桜の咲く頃になるんじゃないかと思います。
向かいには往生院という念仏写経道場があります。
ここの天井画をぜひ見て行きなさいと
書いてあったので入って拝見。
本尊は阿弥陀三尊で華の天井画は
浄土の様子を描いているのだとか。
めぐり疲れた時に座ってゆっくりできる場所です。
放生池を通りすぎ本堂の南側にまわると
なんとも不思議な二面石という石があります。
これは飛鳥時代の石造物のひとつで
人の心の善と悪を表したものなのだとか。
ちなみにこちらは悪の様相。
こちらは善の顔。
うーん、どうかなあ?
なんか♡型にも見えたりして…。
飛鳥には他にも亀石とか石舞台古墳もそうだし
石造物がたくさんありますよね。
次来た時は石舞台古墳には行ってみたいなあ。
本堂前の橘の木とともに御朱印いただきました!
サンプルは二種類出ていましたが
新西国の札所なので御詠歌もあるはず。
御詠歌マニアさんは聞いたら書いてくれるかもしれません。
太子御遺跡の御朱印に注目!
中央にはあの二面石の印が押されています。
太子御遺跡めぐりの御朱印って面白いなあ。
ちゃんとめぐってみようかなあ。
休憩所の隣から川原寺跡を臨む。
川原寺があったところには弘福寺があり
こちらの御朱印もいただけるそうですが
今回はここでタイムオーバー。
ところで、橘寺でもオリジナル御朱印帳がありました。
橘の寺紋の織りが入った御朱印帳ですが
寺名は入っていませんでした。
オリジナルではない桜柄や紅葉柄なども
1200円で置いてありました。
飛鳥ではあまり御朱印帳を見かけませんでしたが
飛鳥で御朱印帳が欲しい!と思ったら
岡寺か橘寺がいいのではないでしょうか。
御朱印まとめ
拝受場所/本堂横の納経所
★新西国第十番「聖徳殿」
★聖徳太子御遺跡第八番「太子誕生所」
以上、橘寺でした。
日本最大の白い観音さま 奈良・岡寺(龍蓋寺)
飛鳥の御朱印めぐりに戻りまして…
南へ自転車で約10分くらい走ると
鳥居が見えてきますのでここからは登り。
もうこげなくて押して行くと
レンタサイクルの駐輪場があります。
ここに置いてさらに急な坂道を登ります。
駐輪場にはレンタサイクルが溢れてました。
駐輪場から10分くらいかかったかな?
やっと仁王門に到着です。
直前にスキー場の上級コースみたいな坂を
息を切らしながら登ってやっとの到着。
車の入場口は別にあり、門の手前に駐車場がありました。
仁王門からさらに階段を経由して本堂に到着。
高市郡明日香村岡にある岡寺の正式名称は
東光山 真珠院 龍蓋寺(りゅうがいじ)。
岡山の中腹に位置するため岡にある寺=岡寺
と呼ばれるようになりました。
西国巡礼第七番、日本最初の厄除霊場ともいわれています。
文化2年(1805)建立の本堂。
本尊は如意輪観音で日本最大の塑像の観音さま。
塑像とは粘土を素材とした仏像彫刻のこと。
木造だと黒く朽ちていきますが塑像は白いのが特徴。
奈良時代後半の仏像に多く見られる造像方法ですね。
像高4.5メートルという大きさは日本最大。
インド、中国、日本の三国の土を使って
弘法大師が造ったといわれています。
大きさと白さに圧倒されます。
こちらも御朱印があるので見るのを忘れずに!
本堂横の納経所で御朱印帳を預けて境内散策。
一種類いただく場合はその場でいただけますが
全部で6種類あるのでたくさん欲しい場合は
預けたほうが効率がいいですね。
阿弥陀三尊を安置しています。
変わった菊だけど奇麗〜と写真撮ってたらハチが!
ところで岡寺の歴史は天智天皇2年(663)まで遡ります。
草壁皇子が住んでいた岡の宮を仏教道場に改め
当時の仏教の指導者であった義淵僧正に下賜され
創建されたと伝わります。
法相宗の寺院として始まり、江戸時代までは興福寺の末寺でした。
義淵僧正は法相宗の宗祖として尊敬されている人物です。
奥之院の方へ行ってみます。
るり井という井戸があり
弘法大師ゆかりの厄除のわき水だそうです。
奥之院の鎮守社の稲荷明神社。
そういえば参道の最初に鳥居がありましたが
境内はあまり神仏習合な感じがしませんね。
“弥勒の窟”といわれる奥之院の石窟。
奥には弥勒菩薩座像が祀られています。
石窟って独特の雰囲気で…
中に入りたい気にならないんです…><
すみませんが、ここから合掌。
一番眺めがいいところまで来ました。
周りの木はすべて紅葉!
この時はまだ青々していますが、そろそろ見頃かな。
ここが紅くなった時にまた来てみたいなあ。
三重宝塔まで来ました。
創建当時の三重塔は文明4年(1472)に台風で倒壊。
昭和61年(1986)にやっと再建されました。
毎年10月第三日曜日の開山忌に内部公開されます。
うーん、いい眺め!
お天気も良く、飛鳥ののどかな街並が奇麗に見えました。
少し降りて昭和の始めに建立された大師堂。
幼少期のお大師さまの稚児大師像と
修行していた頃の修行大師像があります。
本堂へ戻って御朱印帳をお迎えに。
6種類の御朱印サンプルは出ていました。
オリジナルの御朱印帳もあり
黒地に観音さまが描かれたもので1500円。
飛鳥の寺社めぐりで一番惹かれたデザインでした。
西国の散華もいただいて満足、満足♪
御朱印まとめ
拝受場所/本堂横の納経所
★左・西国霊場第七番 御詠歌
「けさみれば つゆの岡寺 にわのこけ さながらるりの 光なりけり」
右・西国霊場第七番「厄除大悲殿」
★奥之院本尊「弥勒」
★奈良大和四寺巡礼「厄除佛」
以上、岡寺でした。
秋薔薇の見頃も今週末まで! 奈良・霊山寺
飛鳥の御朱印めぐりの途中ですが
今週末までが見頃という
秋薔薇を見に霊山寺へ行ってきましたので
その模様をお届けします♪
ですが、バスは1時間に1本しかなく…
薔薇の季節だからって臨時バスも出てないみたい。
富雄駅周辺には時間をつぶす場所もあまりなく…
電車で来られる場合は大和西大寺駅のエキナカとかで時間調整して
バス時間に合わせて富雄駅に来られるといいですね。
駐車場はたくさんありましたが有料のようです。
そんなに標高が高いわけではないのですが
けっこういい感じに色付いてきてますね。
大本山というから宗派は?と調べてみたら
山号は登美山(とみやま)、鼻高ともいわれ
「大和國 登美山鼻高 霊山寺」が正式名称のよう。
受付で入山料と本堂入堂料800円払い中へ。
まず通り抜けるのがこの大きな鳥居。
お寺に来たはずなのにまず鳥居からって
神仏習合が色濃く残っているなあっと。
鳥居が建てられ結界としていました。
扁額にも「大辯才天」と書かれています。
参道の途中にふたつめの鳥居。
この階段の上に辯天堂があり、その上に寺務所。
御朱印受付は寺務所なので先に行って預けようかと思いましたが
とりあえず本堂へ向かうことにしました。
このあたりの紅葉グラデーションがキレイ!
急な階段を登って本堂へ。
古くからこの地は小野家の領地で
遣隋使小野妹子の息子、小野富人が
壬申の乱に関与したということで右大臣を辞め
この地(登美山)に閑居して
登美仙人もしくは鼻高仙人と称していたそう。
富人は登美山に薬師如来を祀り
薬草を栽培して薬湯を設けたそうです。
本堂の奥もキレイなグラデーション紅葉!
のちの孝謙天皇は病(ノイローゼ)に苦しんでいました。
ある晩、聖武天皇の枕元に鼻高仙人が現れ
登美山の薬師如来の霊験を説いたので
行基を登美山に遣わせて祈願させたところ病が平穏に。
本堂の裏側にあった銅像。
ことになっていますが史実としてはないそうで…(Wikipediaより)
開創の時期など中世以前は明らかではないのだとか。
戦争に巻き込まれていないので古いものが残っていて
本堂は弘安6年(1283)建立の鎌倉時代和洋仏堂。
11月13日までは御開帳されています。
毎年この時期に開帳があるみたいですね。
所狭しと置かれていました。
説明があるかと思ってたらなかったのが残念。
室町時代初期の創建といわれる
重要文化財の鐘楼を眺めながら
東へ下り寺務所へ。
この門の向こう側に寺務所があり御朱印帳を預けます。
ワタクシは全部いただきましたので
書いてもらっている間は周辺を散策。
寺務所の向かいの位置にあるのが辯天堂。
弁財天といえば琴か剣を持っているイメージでしたが
この弁財天さまは仏さまみたいだな?
聖観音を祀っているんですって。
鳥居もきれいでしたけど、龍の香炉も社殿もキレイ。
昭和10年(1935)奥之院の大辧才天を勧請して
建立されたという新しい建物なのでした。
歴史はあるけど新しいものも多く
檀家さんが多いのかな?とか思ったり。
社殿の西側には弁財天以外の六福神の像。
こちらもキレイで新しい。
奥には金箔押の大弁財天が祀られている
黄金殿と珍しいプラチナ箔を使った白金殿。
しっかりと雨対策もされていて管理が行き届いてる感じ。
その分、光って良く見えないんだけどね…^^;
寺務所に行って御朱印帳をお迎えに。
御朱印は全部で9種類あり、サンプルは出ていません。
札所印が違うだけで、あとはすべて
薬師如来と同じこと書きますがいいですか?
と言われましたが、全部同じではなかったですよ!?
まずは近くの弁天堂前で「大弁才天女尊」。
本堂の近くで堂内に祀られている「薬師如来」と「阿弥陀如来」。
右側がお寺全体にかかるもので
一種類お願いすると自動的にこちらを書かれるようです。
左側は大和十三佛第十番のもの。
本堂の奥へ行くと扉が閉まったお堂があります。
これが地蔵院ですが、中には何もないそうで。
本堂に祀られている地蔵さんが
元いた場所ということかな?
御朱印は仏塔古寺第五番のもの。
地蔵院の奥にある鳥居から奥之院までは坂道を1km。
霊山寺の信仰の中心となる場所ですが
ちょっと遠いし道のりこわい…><
なのでここでヤメておきます。
本堂の前の橋を渡って三重塔方面へ行きます。
まずは階段を登って開山大師堂へ。
細くて急な道を登ると開けたところに三重塔。
鎌倉時代中期の建立という
高さ17m、桧皮葺の塔の初層には
極彩色の壁画が保存状態よく残っていて
11月3日のみ内部公開されるそうです。
三重塔の隣には行者堂があります。
神変大菩薩(役行者)を祀るお堂ですが
役行者とどんな関係があったんだろう??
御朱印は役行者霊蹟札所のものです。
この巡礼には札所番号はないようです。
その他の御朱印は割愛させていただきます。
こんなに違うのにサンプル出さないなんて…
初心者には難しすぎますね。
参道を降りてきたらなにやら仏さまが並んでいます。
生まれ年の十二支と生まれ星座の本尊だそう。
こちらもピカピカしていますが
なんでも「辯才天のお告げ」として昭和の後半ごろから
いろいろと造られてきたようです。
その下には薬師湯という温泉施設があります。
鼻高仙人が造ったという薬師湯が
今では温泉となって入れるんですね!
ところがこの日はお休み…><
隣には食事処や売店もありましたがこちらも休み。
このあたりには食事する場所がないので
開いていたら貴重な場所かもしれません。
最後に楽しみにしていたバラ園へ!
世界平和を願って造ったという庭園。
本堂の鬼門(北東)にあり、鬼門にはトゲのある木を植える
という習わしに倣ってバラを植えたとのことです。
しかしですね…秋薔薇のピークは過ぎていたようで><
パラパラとしか残ってなかった…(T_T)
見頃は10月中旬〜11月中旬とのことですが
10月中に訪れたほうがよかったかも。
寄って見るとなんとか咲いてる感が出ているでしょうか。
秘仏公開も今週末までだし
秋薔薇もそれくらいまでかなーと思います。
また5月頃に訪れられたらいいな。
御朱印まとめ
拝受場所/寺務所
★左・大和十三佛第十番「阿弥陀如来」 右・「本尊 薬師如来」
左・大和地蔵十福「地蔵尊」 右・西国薬師四十九霊場第二番「本尊 薬師如来」
以上、霊山寺でした。
奇祭でも有名な縁結びスポット 奈良・飛鳥坐神社
飛鳥寺より東へ自転車で2、3分。
飛鳥坐(あすかにいます)神社へ来ました。
写真左側に参拝用駐車場がありました。
創建の歴史は不明ですが『出雲國造神賀詞』によると
大国主神が皇室の守護神として
飛鳥神奈備三日女神(アスカカンナビミヒメノカミ)を
飛鳥の神奈備に奉斎したと書いてあるそうです。
手水舎の柄杓が竹でできていました。
重くて水はちょっとかけづらい…^^;
天長6年(829)神託があり、現在地に還座。
書いてありますが諸説あるのだとか。
階段を登って息をきらしながら本殿へ到着。
高皇産霊神(タカムスヒノカミ)
飛鳥神奈備三日女神(アスカカンナビミヒメノカミ)。
八重事代主神とは天地・宇宙に広がる御神徳が
八重に積み重なっている神様だということだそう。
ご利益も期待できますね。
本殿の前には神楽殿がありそこから景色を楽しめます。
上がることはできませんが遠くから。
この神社に氏子はなく、代々守っている神主家は
「飛鳥」という姓を賜っているそうです。
初代は事代主神から数えて七代目。
現在の宮司さんは八十七代目だとか!
すごいですね〜
この神社のもうひとつのご利益が縁結び。
「むすひの神石」とはいいじゃないですか〜
と軽い気持ちで写真を撮って後で見たら…
実はコレ、男性のシンボルと女性のシンボルだった!
相ふさわしいものを結びつけるとされる御神徳は
縁結びのほか、子宝、安産などの信仰もあります。
境内図がなく、どこまで行っていいのやら。
むすひの神石から奥の階段を登って摂社群へ。
よくよく見てみると、囲いの向こうには陰陽石が。
昔に書かれたネットの記事を見ていると
この囲いがなくむき出しだったようです。
これじゃあまりにも…ってことで囲いが付いたんでしょうか。
境内の一番奥までいくと奥の社があり
そこには一番大きな陰陽石「奥の大石」が祀られているそうです。
ワタクシはよくわからなくてそこまで行ってません。
うーむ、もう少し予習してから行けばよかったかな。
御朱印は鳥居近くの社務所にて。
タイトルに書いた奇祭とは
2月第一日曜日におこなわれる「おんだ祭」のこと。
天狗とおかめが夫婦和合を模した儀式を行なうそうで。
場所は本殿前の神楽殿です。
いつもは静かな境内もこの日はとても賑わうそうです。
子連れで行くのはどうなのか?と思いますので
ワタクシは行けないですが、興味のある方はどうぞ。
御朱印まとめ
拝受場所/社務所
★「飛鳥坐神社」
以上、飛鳥坐神社でした。