淀地域の産土神 京都・輿杼神社と淀城跡
長円寺に参拝の帰り、ここまで来たし
他にお参りできるところはないかな?
と探してみたら鳥居を見つけましたので参拝。
京阪淀駅の目の前、淀城跡の隣にあります。
石碑には「郷社式内輿杼神社」と書いてあります。
延喜年間に鎮座していた神社を式内社といいます。
応和年間(961〜963)に千観内供という僧が
肥前より淀大明神を勧請して創建しました。
大注連縄がスゴい!
元は現在の宮前橋付近の桂川右岸にあったそうですが
桂川堤防拡張工事に伴い、明治35年(1902)現在地に還座。
拝殿です。
屋根は吹き替えられたばかりなので
ぜひ見ていってと宮司さんがおっしゃってました。
本殿の写真は撮り忘れましたが
左に速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)。
淀城方面にも行ってみましょう。
隣にも鳥居が。
こちらは稲葉神社で淀城の鎮守社。
社務所らしき建物?がありましたが無人のようでした。
石垣が見えてきました。
元和9年(1623)京都警護のため徳川秀忠の命によって築城。
意外と新しいお城だったのですね。
享保8年(1723)には春日局の夫、稲葉正知が居城しました。
だから鎮守社は稲葉神社だったのですね〜。
秀吉の側室、茶々の出産場所であった淀城は
ここより北へ500mのところにあったそうです。
石垣を登ったところで一休み。
淀城は鳥羽伏見の戦いで城内の一部を焼き
廃藩にともなって廃城となります。
さらに巨椋池の干拓で地形が変わり本丸を除いてすべて破壊。
京阪が線路を敷くために淀城は消滅してしまいます。
今はすぐ近くを電車が走る公園となっています。
御朱印まとめ
拝受場所/社務所
★「輿杼神社」
以上、輿杼神社でした。