旧嵯峨御所大覚寺と大沢池
ランチ後、大覚寺までやってきました。
真言宗大覚寺派の総本山で山号は嵯峨山。
お寺になったのは嵯峨天皇の孫に当たる
恒貞入道親王を開山とした貞観18年(876)のこと。
以後、明治初頭まで皇室出身の皇子が
住職をつとめる由緒あるお寺なのです。
なんとなく御所風のたたずまい。
ちょっと二条城を思い出したりします。
気になったこのお花、嵯峨菊といって、
大沢池に自生しているものだそう。
大覚寺は生け花の嵯峨御流の発祥でもあります。
すっと細長い花びらが特徴。
宸殿の周りを鮮やかに飾っていました。
ここで政治を執ってたため、嵯峨御所とも呼ばれます。
この門とか、御所っぽい。
鎌倉末期に両系統が対立、南北朝時代に入っていくのです。
おお、この屋根も御所風で素敵です(*^.^*)
元中9年(1392)南北朝の和解が成立し、
三種の神器が引き継がれたのはここであったそうです。
はあ、いろいろあったんですね朝廷って。
そんなこと知ってか知らずか、
木々は美しく紅葉していました。
さっきまで雨がパラついていたのが嘘のよう。
長い回廊めぐって、ちょっと迷子。。
広すぎて、どこにいるかわからなくなります。
つなぎめのないフッカフカの苔!
これは素晴らしい!!
もっと寄って撮りたかった。。
この勅封心経殿は、大正19年(1925)建立のお堂。
般若心経と薬師如来像を収蔵。
ご開帳は60年の一度とのこと。
次のご開帳がいつかはわからないけど
生きてたら見に行こうかしら(^^ゞ
大覚寺は写経のお寺でもあるのですね。
写真右の五大堂は心経道場でもあります。
ここに安置されていたご本尊の
五大明王は霊宝館にて見ることができます。
不動明王さんのバランスが不思議…
頭デッカチさんでしたヽ(゜▽、゜)ノ
でも勇壮な表情は室町時代ならでは。
江戸時代作の2体の明王さんは
お肌がつるりんこ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
それはそれでうらやましいのだけど
味があるのは室町時代作のほうだな〜。
霊宝館では写真撮影できないのですが
大沢池にてこんなのを見つけました。
おお、不動明王のバランスの悪さまで
再現されてる( ´艸`)!
ちなみにこの看板は、
好きな明王さんを空けて
顔を入れられるようになってます。
5人組でなくても
明王さんごっこができる♪
大沢池の周りを散策。
湖面が鏡のようでした。
向こうに見えるのは心経宝塔。
この宝塔のとなりにあったコレ。
なんだろう、と入ってみたのですが
四国八十八ヶ所のお寺から持って来た
砂を入れたザブトンを踏んで
描かれたご本尊にお祈りします。
これを1から88まで踏破したら
霊場めぐりと同じご利益があるとか!
88つを横っ飛びで巡るんですが
これがまた大変です(>_<)
ですが、なかなか楽しかったりして。
大覚寺の造営も関わっていたから
というご縁でつくったみたいです。
大沢池の北側、菊が島。
ここに嵯峨菊が自生していたんですね。
池の北側には紅葉のトンネルがあるのですが…
まだこれからのようです。
夕方のひととき。
池の深い蒼に引き込まれます。
御朱印はコチラ。
アップ!
ご本尊の「五大明王」と書かれています。
右上は山号の「嵯峨山」かな?
シメはよーじやカフェでお茶。
ふたつ並べて「姉妹風」に。
ちなみに今回、こんなものをゲットしました!
じゃん♪
御朱印帳入れです〜о(ж>▽<)y ☆
入れるとこんな感じ。
帳面を買った時にもらったサックを
あろうことか捨ててしまい(ノ_・。)
ピンクの表紙がうす汚れてきたので
慌てて買った次第です。
これから御朱印帳を買う皆さん、
サックは捨てずに使いましょう!
もしくは帳面入れを買いましょう( ̄▽+ ̄*)