延暦寺
歴史にたびたび登場する延暦寺。
先日行った奈良の興福寺を合わせて
「南都北嶺」と呼ばれるほどの力を持っていたそうで。
政治的影響力も強かったとか…( ̄□ ̄;)
延暦寺とは、点在する東塔、西塔、横川など
三塔十六谷の総称。
今回は時間の都合で東塔のみ見学しました。
現在の根本中堂の場所に小寺院を建立したこと。
京都の鬼門(東北)を護る国家鎮護の道場として栄えました。
桓武天皇時代の年号「延暦」を賜ったのは
最澄没後の824年。
鎌倉時代から名僧を輩出したものの、
その結果(?)寺を二分する抗争となり、
自然にできたという「僧兵」。
白河天皇が「心のままにならぬもの」というほど
強大な力で「独立国」状態だった延暦寺も
しかし義教死後、再び僧兵軍を強化。
戦国時代には足利義稙と組んだために、
細川政元に焼き討ちされ、
戦国時代後期には、朝倉・浅井両氏をかくまって
織田信長の逆鱗にふれ、焼き討ちされました。
信長の死後、秀吉や家康によって再興され、
現在の根本中堂は寛永19年(1642)、
家光の寄進により再建されたものです。
ふう〜、お寺とはいえ、戦争、戦争です…ヽ(;´ω`)ノ
将軍や天下人を相手に、武力のみならず
物資の流通も握って財力もあったとか。
そりゃ、強訴もするってもんですかね…(-"-;A
数々の名僧を輩出しているだけあって、
教育機関としてもレベル高いんでしょうね。
しかし、名僧が多かったがゆえに(?)
対立し分派し(円仁の山門派、円珍の寺門派)
結果「自然に」僧兵ができてしまった、というのは
時代的に仕方のないことなのかあ…( ̄ー ̄;?
宗教的なことより、
今では考えられない「お寺の武装化」について
興味津々なわたくしなのでした…(;^_^A
お寺って、心静まる穏便な場所だと思ってたけどなあ〜
こういった歴史もあるということですね*1
ちなみに、延暦寺のHPには
武装化の歴史は触れられていません。
信長の焼き討ちについてはありますが…
これだけ読むと「信長めっ(゙ `-´)/」と思うかも…?
こちらは根本中堂の向かいにある文殊楼。
寛文8年(1668)の火災の後に再建。
文殊菩薩を安置する階上に上がれますが、
階段が急すぎてビックリ…ヽ*2ゝ
降りる時にヘンな筋肉使ったのか
その後イタかった…・°・(ノД`)・°・
景色がいいわけでもないので、
身体に自信のない方は登らぬように…。(´д`lll)
法華総持院東塔と阿弥陀堂は1980年に再建。
新しいと思った!
清々しい音が聞こえる水琴窟は
阿弥陀堂の前にありました。
武装化の歴史についてはちょっと中断して
耳を澄ましてみる…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
武力を持つお寺ばかりではないと思いますが
壮大な伽藍で力を見せつけてくれた延暦寺。
西塔と横川に行ってないので
「(将軍風に)制圧した!」とは言えないかな…(^▽^;)?