養源院
大河ドラマも変わり
江ゆかりの地から、
清盛ゆかりの地へと
人が移動しつつあった年末の京都。
やっとですが、養源院に行ってきました(‐^▽^‐)
門をくぐった参道は
紅葉の名残がありました。
文禄3年(1594)、淀君が
父・浅井長政の菩提を弔うため
秀吉に懇願して建立。
元和5年(1619)、火災で焼失。
元和7年(1621)、崇源院(お江)の
願いにより、徳川秀忠が再建。
以後、徳川家の菩提寺となりました。
こちらはご神木。
本堂は元和5年に解体された
伏見城の殿舎を移築したもの。
廊下の天井には、かの有名な血天井が!!
遺体は廊下に1ヶ月余り放置されていたため、
血が染み付いたという。
彼らの供養のために天井にしたそうです。
ここが鳥居元忠で、ここが誰それで…
と説明を受けつつ、
手のあとなど生々しく残った血のあとに
ぎょっとしたりして…(゚_゚i)
しかし、血がしみ込んだ廊下を
供養のためといって天井にするとは
(廊下にしてしまったら踏まれて
保存できないためですが…;)
どうなんでしょうか〜?(・・;)
崇源院の秀吉への憎しみを
表しているらしいが…(°д°;)
お江ってば、かなり根にもつタイプなのですかね?(><;)
同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるそうです。
血がしみ込んだものを使うのは
当時の弔い方として普通のことだったのかなあ?
もうひとつの見所は、
俵屋宗達のふすま絵と杉戸絵。
これも伏見城で自刀した武将を
弔うために描かれたそう。
表現の新しさは美術の教科書に載るほど。
そういえば、教科書で見たことある!!
ちなみに、写真はチケットとともに
頂いた絵はがきです(*^ー^)ノ
そして、観光客が多くなり過ぎて
鳴かなくなるかもしれないと
話題だった鶯張りの廊下は、
しっかりと鳴いていましたよo(〃^▽^〃)o