晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』『かわいい奈良御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

取材の思い出その2/中将姫伝説の地 奈良・徳融寺

 

www.st-infos.co.jp

 

 

取材の思い出の続きです。

P17〜に掲載している徳融寺は

当初、予定になく

ロケ中に偶然立ち寄った場所。

 

 

 

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お寺が多く集まる奈良市鳴川町にあります。

元は元興寺にあった観音堂もしくは

念仏の道場であったと伝わります。

室町時代に現在地に移り

天正18年(1590)融通念仏宗となりました。

 

 

 

 

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このお寺に入ってみようという

きっかけになったのがこの石碑。

豊成公とは、中将姫の父、藤原豊成のこと。

お父さんの邸宅があった場所だそうです。

 

 

 

 

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まずは立派な本堂でお参り。

お彼岸の時期だったので

忙しそうにしておられて

入るのをためらいましたが。

後ほど先代住職にご説明いただきました。

 

 

 

 

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本堂の向かいに建つのが観音堂。

ちゃんを抱き上げた姿の観音さまは初めて見ました!

子安観音像、別名マリア観音とも呼ばれているそうです。

平安時代の仏像ですが、手先は後から付けられたものだそうです。

お姿から想像できるのですが、子育てにご利益があるとか。

偶然にして自分にピッタリの仏さまに出逢うとは!

すごーく深いご縁を感じました。

 

 

 

 

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観音堂の裏側に藤原豊成と中将姫の供養塔がありました。

元はここから南東200mの位置にある高林寺にあったもので

延宝5年(1677)現在地に遷されました。

 

 

 

 

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供養塔の隣に毘沙門堂があり

その奥には「雪責の松」なる看板が。

中将姫が継母に折檻を受けた

老松の切り株が存在していたと書かれています。

人形浄瑠璃では、雪が降る朝、中将姫が継母から

老松の下で割竹打ちの折檻を受ける、というシーンがあるそうで。

それに合わせて切り株が作られていたのかなあ?

 

 

 

 

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先代住職のご説明を聞きながら

何故かこの写真を撮っていたのですが

なぜこれを撮っていたのかワカリマセン…。

とても天気がよかったから青い空を撮りたかったのかなあ??

 

ところで、御朱印は庫裏にて御朱印帳を渡して

奥で書いたあとに持ってきてくれるというスタイルでした。

ちなみに徳融寺は大和北部八十八ヶ所巡礼の第4番ですが

ワタクシがいただいた御朱印には札所印がありません。

色々な場所で書いてもらった御朱印帳を出したので

札所の印は押さなかった、と住職がおっしゃってました。

本に掲載した御朱印は後で札所印を押してもらっています。

専用御朱印帳で巡っていないけれど

大和北部の札所印入り御朱印が欲しい場合は

御朱印帳を渡す際に「大和北部が欲しい」と伝えた方がいいでしょう。

大和北部巡礼、高度なワザを必要としますね〜(⌒-⌒; )

 

 

 

 

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ちなみに徳融寺のお向かいには

中将姫誕生霊地の石碑がある誕生寺があります。

ここはとっても入りにくい雰囲気で…(^◇^;)

時間もなかったので行きませんでしたが

あとで調べたら事前予約が必要なお寺なのでした。

 

 

 

 

御朱印まとめ

拝受場所/庫裏

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★「子安観音」

 

 

 

以上、徳融寺でした。