青い蔵王権現を拝しに 奈良・金峯山寺
行きたいと思いながら遠いな〜と
半ば諦めかけていた吉野。
でもやっぱり行きたい!!
蔵王権現が拝めるうちに…
とワタクシにしては準備万端で出掛けました。
本当は「青の交響曲」に乗ってみたかったけど
京都からの当日予約では満席でした><
ケーブルカーに乗って吉野山駅まで行き
徒歩5分ほどで黒門に到着しました。
ここからもう少し歩きます。
途中に大きな銅鳥居(かねのとりい)があります。
創立年代は不詳ですが『太平記』などによると
天平3年(1328)の兵乱で焼失したと記述があり
その後に再建されますが宝永3年(1706)に類焼し
真木を焼きましたが正徳元年(1711)に再興。
銅製の鳥居としては現存最古のものだそうです。
俗界と浄界との結界、つまりここからは聖域ということ。
8.2mという高さに驚きです。
国宝の仁王門に到着、でも修理中〜。
金峯山修験本宗の総本山です。
やっと来れた〜と感動もひとしお。
仁王門のところから山並みを眺めて。
飛鳥時代から聖地として知られていたそうです。
白鳳年間(7世紀後半)修験道を始めた
人々を救い、悟りの世界に導くために
金剛蔵王権現を彫刻してお堂を建てて祀りました。
そしてこれがそのお堂、蔵王堂です。
金峯山寺の始まりとなった場所。
現在のお堂は天正20年(1592)頃に
豊臣家の寄進で再建されたもの。
高さ34m、奥行き、幅ともに36mと大きい!
ここに本尊の蔵王権現が祀られています。
重文の木造蔵王権現立像は過去・現世・未来を象徴する三体から成り
秘仏ですが行事があるごとに度々御開帳されているようです。
という名目で12月11日まで御開帳されています。
すぐ近くまで行くことができるし個室?みたいなところに入って
周りを気にせず拝めるのが素晴らしい!
現在の像は天正18年(1590)の銘があり
大きさは中尊が7.2m、右が6.1m、左が5.9m。
蔵王権現はインドに起源を持たない日本独自の仏。
権現とは仏が姿を変えて現れたものという意味で
本地仏(本来の姿)としているそうです。
釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩が姿を変えたものということですが
憤怒の表情や、炎のように見える光背から
不動明王のほうが近いような…って思ったけど。
何で青いのか?はわからずじまい…。
圧倒されてしまう大きさと色が印象的でした。
納経所は本堂外の拝観受付横と本堂内の出口付近の二カ所。
気になっていた木製の御朱印帳は拝観受付横の納経所にて。
表紙だけでなく、中面も吉野杉で作られたもので
めぐる時に使う御朱印帳だそうです。
でも専用って訳ではないので他でも書いてもらえそうですが
墨や朱を吸いにくいようなので書きにくいかも…
霊場になっている寺社で使うのが良さそうです。
持参した御朱印帳にも書いていただきました。
十一面観音を祀っており御朱印もありますが
御朱印は愛染堂へ、という看板が出ていました。
隣の愛染堂へ。
愛染明王を祀っているのですが中は誰もおらず…。
とりあえず、そのあたりに居た人に
御朱印はどこで?と聞いてみるも本堂の方で聞いてくださいと…。
本堂へ行ってみると電話で問い合わせてくれて
拝観受付の横の納経所へ、ということで戻ることに!
ということで再度、拝観受付横の納経所に戻って拝受。
本来は愛染堂でしているそうなのですが
この日はたまたま人がおらず
こちらの納経所だった、ということらしい。
写真はありませんが「愛染明王」も無事にいただきました。
境内には天満宮もありました。
神仏習合してますねえ〜。
後醍醐天皇の行宮となった実城寺跡に建てられた
小さいですが重文の本尊・釈迦如来を安置。
がらっと開けて見たり中に入ることもできます。
ここで南朝として政務をとろうとしますが
ここが選ばれたのは吉野大衆と呼ばれる
金峯山寺の僧兵がたくさんいたから、とか。
守ってもらえそうな場所だった、ということかな。
皇室の異端児・後醍醐天皇、嫌いじゃない^^;
むしろ気になる存在です。。
もうちょっと吉野を深く探索して
後醍醐天皇の足跡をめぐりたいなあ。
佛舎利宝殿を横目にどんどん奥へ。
この先に脳天大神があり、
そちらも御朱印があるということで
約500段の階段がありますが行ってみますよー!
続きは後日。
御朱印まとめ
拝受場所/拝観受付横の納経所又は本堂内
★紀伊山地三霊場会の御朱印帳(木製、16×11cm)2000円
★本堂「蔵王堂」
★観音堂「十一面観音」
以上、金峯山寺でした。