筒井順慶の菩提寺 奈良・伝香寺
ならまちエリアの寺社めぐりの続きです。
今回は奈良市小川町にある伝香寺へ。
近鉄奈良駅から南へ徒歩7分
JR奈良駅からも東へ徒歩10分のところにあります。
やすらぎの道に面した表門からではなく北門から入ります。
看板があるように、筒井氏の菩提所の律宗寺院。
奈良の戦国大名として名前くらいしか知らないけれど
拝観受付で拝観料300円払うと
まずは奥の地蔵堂へ案内されました。
お寺の敷地の大部分が幼稚園になったみたい。
隅っこに追いやられている印象です。
ここは鑑真和上の弟子・思託(したく)によって
宝亀2年(771)に創建された実円寺が前身。
母・芳秀尼(ほうしゅんに)が再興しました。
地蔵堂は普段は閉められているようですが
拝観者が来ると扉を開けてくれました。
外から覗いて拝するだけで堂内には入れません。
調べてみると大和地蔵十福霊場の巡礼に限り見せてくれる、とのこと。
御朱印は受付で先にいただきましたが
地蔵霊場めぐりではなかったのだけど…。
拝めるということはありがたいですね。
通称はだか地蔵といわれ、安貞2年(1228)造立。
毎年7月23日に新しい衣に着替えるそうです。
地蔵堂の隣にあるのが天正13年(1585)に建立された
本尊・釈迦如来を祀る本堂。
モデルとなった仏像といわれています。
ですが、こちらは開けてくれませんでした。
本来ならこちらにお参りすべきでは?と思ったけど。
境内の南東に真新しい順慶堂がありました。
昭和58年(1983)筒井順慶座像と御堂が建立。
こちらも閉じられていて見られません。
新しいんだったら開けてくれてもいいのに。
ここに書いてあるのは、本能寺の変のあと
順慶が洞が峠から戦況を見極めたという話は史実が違う
ということが書いてあります。
豊臣勢力である筒井家が復活しないように
幕府側のプロパガンダとして伝えられた、と。
ふう〜ん、というくらいの興味しかなく。。。
病をおして小牧・長久手の戦いに出陣させられ
大和に戻ってすぐに36歳の若さで病に倒れたのです。
無理矢理働かされて命削ったみたいな感じかな。
それでも豊臣恩顧の大名として幕府が警戒していたのか?
疑問な気もするけれども。。。
洞が峠に先に着陣したのは光秀というのは史実のようです。
こちらには再興した芳秀尼が供えた椿が
三代目となって存続しています。
東大寺糊こぼし椿、白毫寺の五色椿と並んで
奈良三名椿といわれています。
こちらは芳秀尼の墓塔。
周辺には大阪城から出土した礎石や
表門石橋の欄干石柱などが所狭しと置かれています。
その向かいに筒井家の五輪塔と
真新しい定次親子の五輪塔が並んでいます。
幼稚園に押しやられていますが
きちんと整備され菩提を弔われている印象でした。
ちなみに御朱印は書き置きでした。
ご住職が在寺の時は書いてもらえるか聞くと
ご住職は唐招提寺の長老も務められているそうで
ほとんど在寺していない、とのことでした><
御朱印まとめ
拝受場所/拝観受付
★「南無釈迦如来」
以上、伝香寺でした。