広大な日蓮宗寺院 京都・宝塔寺
山号は深草山(じんそうざん)。
非公開文化財で公開中の瑞光寺から
北へ歩くこと2、3分で到着。
立派な総門が目印です。
四脚門で室町時代中期の創建。
階段を登っていくと宝永8年(1711)創建の
仁王門が立ちはだかっています。
両脇には塔頭寺院群が。
こんなところに大きなお寺があったなんて。
実は先日、石峰寺に行ったと話していたら
じゃあ宝塔寺は行きましたか?って言われて。
え、なにそれ?みたいになって調べると
大きなお寺があるではないですか!
近くの瑞光寺が公開されている時なので
行ってみようと降り立った訳です。
瑞光寺と同じですね。
開山は日蓮の法孫、日像。
日像とは妙顕寺を開いた方で
宝塔寺の旧本山も妙顕寺となっています。
日像は極楽寺の住持であった
良桂と法論をかわし、良桂がついに屈して
由緒書きには“一朝の間に日蓮宗になった”と
書いてありましたがさすがにオーバーでしょ(^^;
そんな簡単に変えられたら弟子も困ります。
それだけ日像上人が素晴らしかった
ということでもあるんでしょうけどね。
日像が亡くなったあとは
極楽寺で荼毘に付し廟所を建立しました。
本堂から見下ろしてみます。
慶長13年(1608)建立。
この日は夏みたいに暑かった一日だったので
本堂の日陰部分には一服の清涼剤みたいに
清々しい空気が流れていました。
連休中なのに人もまばらでのんびり。
広いのでごろーんとしたくなるわあ。。。
…歴史に戻りまして。
応仁の乱などで荒廃したあと
天正18年(1590)日銀によって再建。
常寂寺としていた寺号を
宝塔寺に改めて現在に至ります。
本堂内は全く見えず。
2年前の非公開文化財で公開されたらしいですが
ほとんど公開されることがないとか。
額に書かれているお題目がスゴい!
こんな御首題いただけたら嬉しいけど…
本堂でだいぶん長居をしてしまいました。
本堂の南側には重文の多宝塔があります。
室町時代初期の創建で
応仁の乱でも焼けなかったのですね。
2年前の非公開文化財の公開では
一層目を見ることができたそうです。
また公開してくれないかな〜。
本堂と繋がる長廊下(本堂北側)に
七面宮参道というのがありました。
鎮守社があるのかな。
よくわからないまま行ってみることに。
暑い時に長い階段はきついですが…
日蓮銅像のところまで来ました。
日像上人を祀る像尊本廟。
題目は上人の真筆だそうです。
本廟の前に鎮座されている
経一丸さまって誰だろう?
と思ったら、日像上人の幼名だそう。
さらに登って七面宮に到着。
七面大明神が祀られています。
七面大明神とは法華信仰を守るために
身延山の西の鬼門を封じて七面を開く
七面山の山頂に現れた吉祥天のこと。
寛文6年(1666)に奉納された尊像は
岩に座し右手に鍵、左手に宝珠を
持っておられるそうですが
通常は見ることができないようですね。
ここまで登って来る人はなく
とても静かでした。
パワースポットというのとは違うような
気がするけれど、何かがあるような。
独特の雰囲気がするエリアなのでした。
そういえばこの先を行くと
五百羅漢のある石峰寺の裏山に繋がるんですよね。
行けないようにはなってましたが。
だから独特の雰囲気を醸し出しているのかな。
竹薮の隙間から伏見城が見えた!
ちょっと大変な道のりですが
宝塔寺に来たら七面宮まで
お参りすることをおすすめします。
時間には余裕を持ってきてね〜
下へ降りてきて客殿へ。
ここが御朱印の受付になります。
お話好きそうなお母さんに
書いていただきました。
御首題帳を持ってなかったので
今回は「妙法」で。
書き置きの御首題があったので
それをいただいてきてもよかったかな。
中央には「西身延 巽之霊山 七面山」と。
ここは第二の祖山で西の身延、
巽の霊山(たつみのりょうぜん)と
呼ばれているからだそうです。
そんなにも寺格がありながら
十六本山のひとつにもなってないのはなぜ?
…という謎が残りましたが。
とても広い境内なのでたっぷり時間をとって
ゆっくりと巡るのがオススメ。
瑞光寺や石峰寺とセットで
お参りするのもいいですね。
以上、宝塔寺でした。