東福寺の塔頭、龍吟庵と即宗院
塔頭とは、もともとは高僧の墓地のこと。
その墓地を守るため、
弟子たちが小さな庵をつくり、
それが明治以降に寺院として独立し、
塔頭といわれるようになったそうです。
東福寺も大寺院なので
総勢25もの塔頭寺院があります。
その中のひとつ、龍吟庵に行ってみました。
こちらは東福寺の
第3世住持・大明国師の住居跡。
方丈は室町時代初期の1291年に創建。
現存する最古の方丈建築ということで
国宝に指定されています。
通常は非公開で春と秋に特別拝観できます。
東福寺の方丈と同じように
方丈を囲むように東西南北に庭があり、
こちらも重森三玲作。
まずは、なーんにもない南庭。
西庭との仕切りの竹塀は
稲妻が描かれています!
西庭は「龍門の庭」といわれ、
龍が海から顔を出して黒雲に乗り、
昇天している様子を描いたそう。
方丈の背後に建つのは開山堂。
正面の「霊光」は足利義満の書。
東庭は「不離の庭」。
珍しい赤い砂のお庭です。
狼に襲撃されそうになった国師を
2頭の犬が守ったという話に
もとづいて作られたそう。
石畳の参道に惹かれるように
龍吟庵の隣りにある即宗院へ。
こちらも通常は非公開で
毎年11月のみの一般公開です。
島津氏久の菩提を弔うために建設。
東福寺の第五十四世住持、
剛中玄柔和尚が開基。
1569年に焼失したが
1613年に島津家久が再建。
中の庭園は、1196年に藤原兼実が
山荘「月輪殿」をつくった跡地。
太平洋戦争後に荒廃したが、
1977年に復元された。
紅葉は場所により、
という感じでしたが
東福寺のすぐ近くにあるのに
人も少なくて一番落ち着けた場所かも( ̄▽+ ̄*)
裏山を少し登っていくと、
戦没者慰霊碑があります。
このお寺の最奥にある茶亭に隠れ
難を逃れつつ、策を謀ったという。
それが井伊直弼が暗殺された
あの「桜田門外の変」となるわけですが。
倒幕後、隆盛公は明治維新で
戦死した霊を弔うため、
明治2年に「東征戦亡の碑」を建立。
それがこの碑です。
寺の裏にまわっただけで
廃れた感があって、
「つはものどもが夢の跡」
じゃないけど、そんな気分にもなったりして(* ̄Oノ ̄*)
参道の赤千両が美しかった!