晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』『かわいい奈良御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

伊東甲子太郎が絶命した場所 京都・本光寺

 

新撰組から離脱した伊東甲子太郎

新撰組によって討たれた「油小路七条の変」。

伊東が殉難した地にある本光寺では

彼が残した歌の御朱印がいただけます。

 

 

 

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京都市下京区油小路町にあります。

JR京都駅から西へ徒歩約10分。

油小路通側に入口があります。

お寺としての歴史はよくわかりませんが

伊東甲子太郎が襲撃されて絶命した場所

ということは駒札にも書いてあります。

 

 

 

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伊東甲子太郎常陸の出身。

文武両道で剣は北辰一刀流の名手。

門弟らを連れて新撰組の参謀となったものの

次第に近藤勇と意見が対立しだします。

慶応3年(1867)同志15人とともに脱退し

御陵衛士天皇を警護する集団)となり

高台寺の月真院を屯所としました。

近藤は自分の暗殺計画があると知って

伊東を妾宅に呼んで酒を飲ませ

酔った伊東をこのあたりで襲撃して刺殺。

伊東の遺体は七条油小路に放置され

引き取りに来た御陵衛士3名も討たれます。

これが油小路七条の変だそうです。

 

 

 

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なんだかとっても入りにくい雰囲気ですが

この張り紙があれば大丈夫!

数年前までは門がピシャリと

閉まっていたようですが

いつしかこんな入口に変わったようで。

 

 

 

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門を入ってすぐ右側に絶命の跡の石碑と

日蓮宗のお題目碑があります。

新撰組がうまくまわらなくなってきたのは

伊東が入隊してから、というイメージで

新撰組好きな人にとって伊東は

ヒールなのかもしれません。

でも優秀な人だからこそ下にも人が付き

意見が割れると同志を集めて脱退される。

現代社会でいうならば

優秀な人が部下を連れて独立し

新しい会社を設立したりする。

そんな感じなのかな。

 

 

 

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日蓮宗ということを忘れて

うっかりお題目帳を持って行き忘れましたが

そのおかげで御首題と和歌の御朱印を

見開きで書いていただくことができました。

通常、本堂内には上がれませんが

2016年より11月18日以前に一番近い土曜日に

「甲子太郎忌」がおこなわれ

その時は本堂への参拝ができるそうです。

ちなみに伊東甲子太郎御陵衛士のお墓は

泉涌寺塔頭の戒光寺にあります。

 

 

 

御朱印まとめ

拝受場所/庫裡

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★左・伊東甲子太郎の和歌の御朱印  ★右・御首題

 

 

 

以上、本光寺でした。