南朝の皇居となった場所 奈良・吉水神社&勝手神社
竹林院からゆるゆると歩いて約10分。
吉水神社の鳥居に到着しました。
白鳳年間(661〜683)に役行者が建立した
と伝わる元はお寺だった場所です。
元お寺らしい山門に到着。
吉水院宗信法印の援護を受けて
行宮(あんぐう・仮の御所)とし
南朝の皇居とされました。
行幸っていうか逃げてきたんだけどね…。
南朝の歴史は以後四代57年続きました。
後醍醐天皇って、政治家としてはダメダメだけど
なんだか嫌いになれない存在なんですよね〜。
暴れん坊なのに気になる存在みたいな感じ…?
そんなことでどうしても来てみたかった場所なんです。
境内入って右側が本社、左が書院です。
吉水院宗信法印を合祀しています。
ここが神社になった経緯は、明治維新の時
明治8年(1875)吉水神社に改称されました。
受付を済ませて拝観料400円払って書院に入ります。
御朱印の受付もココで。
日本住宅建築史上最古の書院として
世界遺産に登録された建築物。
入ってすぐの間は義経潜居の間といわれ
文治元年(1185)頼朝の追手から逃れるために
ここが二人で過ごした最後の場所なのですね。
奥には後醍醐天皇の玉座の間があります。
天皇が過ごす場所にしては狭い…という印象。
襖絵などは煌びやかですけどね。
宝物もたくさんあり、義経の鎧もありました。
武具がたくさんあって神社らしくない…
ここが守ってもらうために最適と考えた
後醍醐天皇の気持ちもわかります。
書院の庭。
この季節は残念な感じですが…
文禄3年(1594)秀吉が吉野で花見をした時
ここを本陣とし、数日間滞在しました。
庭には石碑もありました。
豪華な金屏風などをたくさん寄贈していて
ビッグイベントだったんだなーと感じます。
書院を外から見る。
急に日が差してきて神々しく輝くさまに
短かったけれどもここでの生活は穏やかだったのかも
…と少し後醍醐天皇の気持ちになってみる。
庭の一番奥にあるのは北闕(ほっけつ)門。
吉水神社が吉水院と呼ばれていた頃
大峯山への入山許可を出す場所でした。
山伏達はここで無事を祈り邪鬼払いをしたそうです。
後醍醐天皇はここから北の方角にある京を望み
いつの日か都へ帰る日を夢見て歌を残されています。
穏やかとはいえ、やっぱり帰りたかったのね…。
結局帰れないまま崩御されたあとは
忠臣達がここで号泣したそうです。
御朱印はまず吉水神社のものを。
色紙のものもあるようでしたが
こちらでは帳面に直筆していただきました。
反射していますが金の菊水紋が押されています。
本社の横にあるこちらは「楠公祠」。
忠臣・楠木正成を祀っています。
「勝手神社」の御朱印もこちらでいただけます。
勝手神社は吉野八社明神のひとつで
古くから水神として崇敬を受けてきました。
創建年代は不明ですが孝安天皇6年(BC386)
といわれる古社ですが
残念なことに平成13年(2001)不審火で焼失。
ご神体のみこちらに還座されています。
竹林院から吉水神社までの道のりの途中に
勝手神社がありましたので寄りました。
見るも無惨な姿…。
ススキが奏でる風の音がさらに寂しく感じます。
早く再建できるといいですね。
こちらには素敵な御朱印帳もあります。
本社と書院が描かれ金の菊紋まで!
桜も配された吉野らしいデザイン。
ドラマの撮影でも使われたそうです。
この原作、気になってアマゾンでポチリ。
まだ読んでませんがちょっと楽しみ。
最後に一目千本という境内からの眺めを。
春にはここが桜で華やかに彩られます。
桜の時期に行ってみたいけれど…
その時期は大変だという声がチラホラ聞こえてきて。
上まで登るのに4時間かかるとか
上まで行っても車を停めるところがなくそのまま下山とか。
電車もケーブルカーも混み混みなんだろうなあ><
金峯山寺のバス停まで行く途中で見つけた
はやし豆腐店で豆腐入り豚まんを買ってパクリ。
たまたま入ったら『青の交響曲』乗車記念証で10パーオフに♪
景色を見ながら豆腐料理を食べられるのですが
時間がないのでこちらでガマン。
寺社めぐり、ハイキング、グルメも楽しめる吉野。
とっても気に入ったのでまた行きたいですが
桜の時期に行くかはまた考えたいと思います。
御朱印まとめ
拝受場所/拝観受付
★御朱印帳(16×11cm)1000円
(18×12cmもあり。1500円)
★「吉水神社」
★「楠公」
★「勝手神社」
以上、吉水神社&勝手神社でした。