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晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

飛鳥時代の始まり豊浦宮があった場所 奈良・向源寺(豊浦寺跡)

 

ついに飛鳥へ行ってきました!

京都の自宅からドアツードアで約2時間。

飛鳥は現地での移動が難しく

車で行こうかとも思ったのですが

最近、疲れやすく帰りの運転が心配…。

天気もいいし電車で行ってレンタサイクルにしました。

これが大正解! どこも走りやすくのどかでした。

特急も停まる橿原神宮前駅からスタート。

 

 

 

 

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走り始めて約10分ほどで到着。

高市郡明日香村にある向源寺(こうげんじ)。

山号は太子山、現在の宗派は浄土真宗本願寺派

欽明天皇13年(552)百済から献上された仏像を

蘇我稲目が向原(むくはら)の家に祀ったことが始まり。

日本での寺院の先駆けともいえますが、その後国内に疫病が流行り

排仏派の物部尾輿(もののべのおこし)や中臣鎌子(なかとみのかまこ)らは

外国の神である仏像を祀っているから日本の神が怒ったとして

伽藍を焼き払い、仏像は難波の堀江(近くにある難波池)に捨ててしまいます。

 

 

 

 

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その後、推古天皇はこの地に宮を遷され

聖徳太子摂政として政治をされました。

都が岡本に遷ったあとはまた寺が建てられ

豊浦寺となりました。

 

 

 

 

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現在は向源寺となった山門。

古来は元善光寺とも呼ばれていたとか。

それは難波の堀江に捨てられた仏像を

信濃国主に従って都までやってきた

本田善光という人が発見したから、だそう。

発見した仏像はありがたく信濃に持って帰り

自宅に安置して礼拝し、供養したそうです。

それが信州善光寺の起源だそう。

 

 

 

 

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本堂です。

扉は閉まっていて中は見えませんでしたが

希望すれば本尊の金銅観音菩薩立像が拝めるそう。

また、豊原宮の遺跡も見学できるそうですが

所要時間1時間はとっておいたほうがいいとのことで今回は断念。

時間がある方はぜひ見学してみてください。

 

 

 

 

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本堂の上にいた龍の彫刻。

 

 

 

 

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こちらは薬師堂だそうです。

ところで難波の堀江から発見された仏像ですが

昭和49年(1974)盗難にあってしまいます。

平成22年(2010)オークションに出品されていたのを

大学院生が見つけ、お寺が買い戻したそうです。

 

 

 

 

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境内に咲いていたお花。

お寺も大変ですねー。。。

見つけた大学院生も素晴らしい!

だからセキュリティのため普段は見れないのかも。

頭部は飛鳥時代のもので、典型的なアルカイックスマイル

ということで見てみたかったなー。

 

 

 

 

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御朱印は聖徳太子御遺跡第十二番のものと

元善光寺のもの2種類ですが右上の印が違うだけ。

なのにその印がかすれてしまったということで

わざわざ挟み紙に印してくださいました。

元善光寺 難波池」と書かれています。

そういえば浄土真宗本願寺派って後で知りましたが

普通に御朱印してくれたのは札所だからでしょうか。

 

 

 

 

御朱印まとめ

拝受場所/寺務所

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★「佛法根源精舎」(左・元善光寺、右・聖徳太子御遺跡第十二番)

 

 

 

以上、向源寺でした。