四天王寺の御朱印 一気に12種類!(後編)
七枚目。
法然上人=圓光大師。
文治元年(1185)51歳の時に
ここに参詣して念仏を唱え
阿弥陀仏の浄土を瞑想されたそう。
お堂の名前は阿弥陀堂ですが
御朱印は「念佛堂」になっています。
現在のお堂は昭和28年(1953)
移築したものです。
八枚目。
西国薬師四十九霊場第十六番。
六時礼讃堂のご本尊が「薬師如来」。
元和9年(1623)建立されました。
空襲でも残った形見です。
靴を脱いで上がる場所があったので
上がって間近で拝んでいたら…
法要の人しか上がれないんですって。
うっかり入っちゃいましたが
本来なら遠くからでよく見えない
お薬師さまをしっかりと
見ることができました。
九枚目。
右上の印は布袋さんが持つ軍配。
これが正しい七福神の
御朱印ですね(^▽^;)
極楽門の手前右側にある布袋堂。
なんで乳布袋尊なの???
一説によると、聖徳太子の乳母を
祀っていた場所だから、とか。
「布袋の乳の豊かさと
乳の出がよくなるますように
との信仰が結びついたもの
といわれています」(四天王寺HPより。)
なるほど〜と思いつつ
布袋さんって乳が豊かだった
んだっけ?というギモンが…。
布袋さんって男性ですよね(;^_^A
太ってるから豊かってこと??
どうでもいいけど気になった(^^ゞ
十枚目。
なにわ七幸めぐり、聖徳太子。
なにわ七幸めぐりとは
どこにも書いてないけれど
「聖徳太子」と書かれているのは
この御朱印だけだったので
これなのでは、と推測!
なにわ七幸めぐりとは
昭和58年(1983)に
財団法人大阪21世紀協会の
理事をされていた
堺屋太一さんの提唱により
理事をされていた
堺屋太一さんの提唱により
始まった巡礼だそうです。
新しい巡礼だからあまり
メジャーじゃないかも!?
札所はメジャーどころが多いです。
十一枚目。
摂津八十八霊場第二十五番。
江戸時代中期に月海上人によって
大師若き頃、西門(鳥居のこと)にて
日想観(西に沈む太陽を見て
その丸い形を心に留めること)
その丸い形を心に留めること)
の修行をしていたとされるそうです。
関連伽藍は極楽門を入って
右にある大師堂なのですが
間違えて五重塔で撮っちゃった(;^_^A
撮影も数が多いと間違えますね。
ラスト、十二枚目。
四天王寺全体を表す「大悲殿」。
最後の最後では関連伽藍との
写真を撮り忘れてました(^_^;)
ということで、12枚です!
メモしながら撮影したり…(><;)
まとめるのも大変だった…(><;)
あとは5枚+間違えられた一枚
合計六枚をいつか…行こう。。。
今回はちょっと変化球でしたが
たまにはこういうのもアリですね。
関連伽藍と結びつけながら
御朱印を見ながらの参拝も
勉強になったし
勉強になったし
なかなかよかったです♪