晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』『かわいい奈良御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

信長の遺骨がある!? 京都・阿弥陀寺(京都市上京区)










あるテレビ番組で見て

行ってみたいと思った阿弥陀寺

信長の墓所といわれる場所は


など行っていますが

その中でも遺骨があるという

説では一番有力なのが

阿弥陀寺なんだそうです。










天文24年(1555)玉誉清玉が

近江の坂本に創建したのが始まり。

その後、信長の帰依を受け

上京区今出川大宮に移転。

天正13年(1585)秀吉の都市計画に

よって現在地に移りました。









信長の木像がある本堂。

本能寺の変があった

6月2日のみ拝観可能です。

本能寺の変を聞きつけた清玉上人は

僧徒30人余りを連れて駆けつけ

裏道から入ったが時すでに遅し。

敵に渡さないように遺骸を

火葬していた武士たちを説き

すきを狙って白骨を法衣に包み

僧徒が逃げるのにまぎれて帰り

白骨は土中に埋めて隠したという。










本堂の左側に看板がありました。

ここから墓所に行けます。

その後の歴史は秀吉が喪主として

大徳寺にて盛大に一周忌を

行ないましたが、その前に

清玉上人に相談があったとか。

しかし織田家との繋がりが深い

上人は信長亡き後の織田家

乗っ取りに近い振る舞いである

としてこれを断ります。

そのために秀吉は大徳寺

総見院造ることになったとか。

秀吉がまず阿弥陀寺

相談に行っていることで

ここに遺骸があるという説の信憑性を

裏付けているといわれています。










こちらが信長公のお墓。

本廟所となっていますね。

このほか、本能寺で討ち死にした

12名の家臣のお墓があります。

その後、天下人となった秀吉は

都市計画という名目で移転させ

寺地を大幅に削っています。

これは一周忌を断られたことへの

怒りのあらわだとか。

確かにこれくらいしか見所なく

広いというほどではない境内。

秀吉の怒りがどれほどだったか…。(;°皿°)

しかし、明智勢が取り巻く

本能寺においてこの人数の遺骨を

持って帰れたのか?とか

疑問もありますね…

当時は相当バタバタだったでしょうから

混乱に乗じて、何度か行って

遺骨を集めてきたのかもしれません。









御朱印いただきました!










墓所入口の左にある

庫裡でいただけました。

拝観は6月2日のみですが

御朱印はいつでもいただけます。

「信長公本病」の文字に

織田家紋の木瓜紋の印!

今年は命日に行けなかったですが

またいつか行けるといいなー!





…そう思っていたら。

後に御朱印を書いてもらったあるお寺にて。

阿弥陀寺、行かはったんですかー

といわれて、本堂参拝しました?

と聞かれました。

6月2日じゃなかったんで

見れませんでした、というと

見せてくださいって言って

心付けで1000円渡すと見せてくれるよって。

えーっ、そうなんですか!?

そんなの知らなかったよ。

まあ、裏ワザなんでしょうけどね。

そういえば6月2日の

拝観料も1000円でした。

行かれる方はチャレンジしてみる?








最近、本能寺の変の資料が

新たに見つかったって

テレビでよく見ます。

これからも歴史の推移を

見守りたいと思います♪

ちなみに阿弥陀寺に行く

きっかけとなった番組は

BS日テレ「片岡愛之助の解明! 歴史捜査」。

歴史上の事件を最新の研究と

科学的なアプローチで検証。

推理タッチでドキドキしながら

「真実」のゆくえを見ています。

特にその日の天気を検証している

のがワタクシお気に入りです( ´艸`)

宣伝するつもりは

なかったのですが(^▽^;)

良かったら見てみてくださいね。