晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

大阪城鎮守社・玉造稲荷神社の御朱印







大坂の陣ゆかりの地朱印めぐり」

というのがあると知って

パラパラと見ていたら

近くにもゆかりの地が!

ということでまた南へ

戻って玉造稲荷神社へ。

これは南側にある石碑。

東側にも出入り口がありました。










社殿は昭和29年(1946)に再建。

創建の歴史は古く

垂仁天皇18年(紀元前12年)

に創建されたと伝わります。

古墳時代には難波宮がおかれ

用明天皇2年(587)曽我氏と

物部氏の仏教闘争の際には

聖徳太子が戦勝を祈願して

この地に陣を敷いたそう。

勝利したあとは観音堂を

建立したそうです。









主祭神はウカノミタマノオオカミ。

お稲荷さんですからね。

商売繁盛のほか、家内安全や

縁結び、芸能向上のご利益も。

歴史に戻ります。

都が遷ってからは荒廃し

蓮如石山本願寺を建てて

また街が活気づきますが

天正4年(1576)石山本願寺

織田信長の戦いによって

社殿はことどとく焼失。









社殿の東側には豊臣秀頼の銅像が!

秀吉の銅像はたくさん見ましたが

秀頼の銅像って、初めて見ました。

平成23年(2011)に建てられたもの。

焼失した社殿を再建したのが秀頼。

慶長8年(1603)のことです。

秀頼と母の淀君

崇敬が篤かったそう。








しかし、大阪冬の陣

またまた戦地になります。

元和5年(1619)徳川幕府

氏子などの寄進によって再建。

豊臣・徳川時代を通じての

大阪城鎮守神となりました。









崇敬が篤かったという

秀頼の胎盤や卵膜が祀られた

胞衣塚(大阪ではヨナというそう)。

胞衣塚大明神という

れっきとした神様です。









この地の笹をご祈祷して

子供の寝床の下に敷くと

夜泣きや子の悩みがなくなるとか。

笹なんてあったかな?










御朱印いただきました!









大阪城鎮守神」の印の上下には

豊臣家の桐紋と徳川家の葵紋!

ところで「玉作岡」ってナニ??

聖徳太子物部氏との闘争で

陣を敷いた時のこの地の名前。

玉作部という勾玉作りの

専門職の人が多く住んでいた

場所であったためだそうです。

玉作は玉造とイコールで

地名発祥の地とされています。

神社名ではなく土地名なのですね。







今回の大阪巡業(?)は

大坂の陣400年を迎えて

ゆかりの地も活気づく

大阪城を中心に廻りました。

ゆかりの地はたくさんあるので

また行ってみよう〜と!