祇園にタワー!?があったなんて! 大雲院祇園閣
9月末までの特別公開だった
大雲院祇園閣へ行ってみました。
祇園閣の閣上からは
京都を一望でき…って書いてあって
あんなところにそんな建物あったっけ?
となったので確認しに行きました。
受付には書き置きの御朱印が
置いてあったので
「御朱印もいっしょに」と言うと
「御朱印帳はお持ちですか?」と聞かれ
持ってます、というと
「では直筆させていただきますので
納経所を案内します」
と場所を教えてくださいました。
「では、拝観してから行きますね」というと
「先に行かれたほうがいいですよ」と言われ。
途中まで案内されたので
そのまま納経所へ行くことに。
「御朱印をいただくのはお参りしてから!」
と本にも書いてますが
こういうパターンもあるのですね(;^_^A
こちらは本堂。
織田信長・信忠の菩提を弔うために
現在の烏丸御池付近に建立されました。
その後、秀吉の都市計画により
寺町四条に移転。
繁華街の中心になったため
こちらは東側の門。
ここ、通り過ぎたことがあるな〜。
いつもこんな感じで閉じられています。
特別拝観時の入口は南側にあります。
本堂の前にある鐘楼。
豊臣秀頼が北野神社に寄進したものと
八坂神社にあった室町時代のものを
神仏分離後の明治3年(1870)
こちらに移されました。
本堂でお参りして説明を聞いたあとは
いよいよ祇園閣へ登ります。
東山の街中にこんな建物(タワー?)
あったなんて気づかなかった\(゜□゜)/
建物内と閣上からの写真撮影禁止なので
下から撮ってみました。
大雲院が移転してくる前は
大倉財閥の始祖
大倉喜八郎の別荘だった場所。
昭和3年(1928)に
祇園祭の壮観を常に披露したいと
祇園祭の壮観を常に披露したいと
山鉾を模して建てたそうです。
通称「銅閣」とも呼ばれているとか。
言われてみると山鉾っぽい。
木造建築が主の京都・東山に於いては
すごく異色な建物、とも言えます。
昭和3年だから建てられたのよね、
今だったら京都のきびしーい
建築基準にひっかかりそうだ(^▽^;)
ちなみに、閣上からの写真撮影禁止については
近くのマンションの住民から
撮られてるみたいだからやめてくれ
っていう要望があったから、だそう。
確かにいい場所にマンションあったけど
高いマンションのいい位置買っても
そういう悩みもあるのね〜(^_^;)
下に降りて信長・信忠の
お墓まいりをすることに。
石川五右衛門のお墓もあるんだ!?
お墓というか供養塔ですね。
ところで、大雲院という名前は
信忠の戒名から取っているのですが
本来なら信長と信忠を偲ぶお寺なので
ふたりから取るはずですが?
説明の方のお話によると
説明の方のお話によると
秀吉が信長の菩提寺として
大徳寺総見院を建立したので
こちらは信忠の戒名から
いただいた、とのこと。
じゃあ、信忠だけでよかったんじゃないの?
って思ってしまったけども(^_^;)
何か理由があったんでしょうね〜。
石川五右衛門とお寺の関係は
処刑前に市中を引き回された五右衛門が
大雲院の開基・貞安より
引導(読経のあとの法話)を渡された
というゆかりによるもの。
(Wikipediaより)
だそうですが、出典がないので
正確なのかわかりません。
御朱印いただきました!
拝観より先にいただいたものですが
本堂下にある寺務所内で
書いていただきました。
ちなみに受付にあった書き置きは
この御朱印の左側に
祇園閣の絵が付いていました。
それもまたいただきたいな〜。
ちなみに特別拝観は
一年に一回あるかないか、だそうです。
今年はもう終わっちゃったので
来年にとっておこう。
丸山公園を歩いていたら
行っておきたいお寺が
あったことを思い出しました。
続きます〜。