読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

隣り合う2つの寺・養源院&法住寺




この2つのお寺の共通のタイトル

考えるのに苦労したあ(>_<)

共通のことといえば

隣り合っていることぐらいしかなくて。







それはさておき、まずは養源院へ。

ここは2年前の大河「江」で

話題となりましたが

お江ゆかりの地というより

このイメージが強いですよね…







血天井です。

伏見城を解体して再建したので

伏見の戦いで亡くなった方を

弔うために残したものです。

前回来た時にじっくり聞きましたので

今回は流し気味に見てましたが

それでもやっぱりゾクゾクします(((( ;°Д°))))









前回の記事で歴史を書いたので

今回はさっぱりめにします。

浅井長政の菩提を弔うために

淀が懇願して、秀吉が建立。

その後、火災で焼失したあと

お江が懇願して、秀忠が再建。

以後は徳川家の菩提寺となりました。









おお、葵のももーんです!

秀吉が建てたということで

豊臣家の遺構なわけですが

現在は徳川家のものという。

今までの感じからすると

不思議といえば不思議な場所です。









自刃した英霊を慰めるために

描かれた俵屋宗達の杉戸絵は

象や獅子、麒麟などが

奇抜な表現で表されています。

こちらは入場の際に頂いたポストカード。


毎回違うものを頂けるようです。









御朱印いただきました!









書き置きでした。

雨賽殿(うほうでん)と読むらしいです。

伏見城にあった牡丹の間という

秀吉の学問所のことらしいです。




ちなみに、養源院はもとは天台宗ですが

現在は浄土真宗遣迎院派です。

浄土真宗は偶像崇拝を禁止しているため

御朱印やお守りはないはずですが

遣迎院派は昭和30年(1955)に

天台宗から独立した新しい宗派。

ご本尊に釈迦如来阿弥陀如来を立てるなど

真宗教団との関連も薄いという。

だから御朱印もあるのでしょうかね〜?

佛光寺派に続き、遣迎院派もアリ

ということでメモ…φ(.. ) 









次はお隣の法住寺へ。

こちらは初参拝です。

永延2年(988)太政大臣であった

藤原為光が妻と娘の菩提を弔うために建立。

長元5年(1032)火災で焼失しました。

最初から後白河法皇が建てたのかと

思ってたけど違ったのね…(・・;)









永暦2年(1161)ここに後白河法皇

御所が営まれこれが法住寺殿となります。

上皇の住まいのほか不動堂や

千手堂が立ち並び、広大な池もあったそう。

長寛元年(1163)には蓮華王院が造立。

しかし寿永2年(1183)木曾義仲によって

火がかけられ、上皇は長講寺へ逃亡し

そこで生涯を終えます。

上皇の死により法住寺殿の敷地に

法華堂がつくられ陵とさだめられます。

その後は後白河上皇の陵を

守る寺として永く存続しました。

豊臣政権下では方広寺に包括されましたが

徳川政権下で妙法院と一体視され

妙法院門跡の院家として待遇されました。

明治には後白河天皇陵を寺域から離され

宮内省の管轄になりました。

明治から昭和にかけて

「大興徳院」という名前でしたが

昭和30年(1955)法住寺が復活しました。










ご本尊の不動明王を祀るお堂。

義仲放火の際、後白河上皇

身代わりとなったとされるため

身代わり不動明王と呼ばれています。

本堂はすごく新しいですね。

いつできたのだろう??









御朱印いただきました!









身代わり不動尊がメインにきてます。

本堂内も拝観できるような

ことが書いてましたが

できないような雰囲気もあり。

入りにくい印象でした…(><;)




あとで調べてみると

拝観料500円でお寺の方が

案内してくれるみたいです。

後白河上皇が愛した今様を

歌ってくれるとか!?

それなら拝観してみても

よかったかな〜(^▽^;)?







サラッと見終わっちゃったので

近くの智積院にも行ってみることに。

まだまだ続きます〜