晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』『かわいい奈良御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

秀吉の夢の跡・方広寺&豊国神社




秀吉信仰の強い地域で

育ったワタクシにとって

太閤さんは身近な存在。

京都の街中でも寺町通なんかに行くと

その足跡は残ってたりします。

今回は京都に残る

ザ・豊臣家って感じ(?)の

お寺と神社へ行ってみます。









まずは方広寺へ。

天正14年(1586)秀吉が大仏建立を発願。

文禄4年(1595)に完成したものの

翌年の慶長伏見地震で倒壊。

慶長4年(1599)秀頼が復興をしますが

慶長7年(1602)造営中の火災で

大仏殿もろとも灰となりました。

慶長13年(1608)また再建が開始され

慶長19年(1614)には鐘楼も完成し

開眼供養を待つばかりとなったのですが…。









コレが問題の鐘楼ですね。

ここでお寺の方が出てきて

説明してくださいました。

棒で差しているとこにはアレが!









「国家安康」「君臣豊楽」

家康を分断とは、徳川家をナメておる!

しかも、豊臣を君主とする、など!

許せぬ、切ってしまえ〜!!

ということで、大阪冬・夏の陣が勃発。

豊臣家は滅亡へと向かうのでした…。









その後、大仏さんは残されたものの

寛文2年(1662)の地震で倒壊。

寛文7年(1667)に木造で再建されましたが

寛政10年(1798)落雷により焼失。

それ以後は再建されませんでした。

天保年間に大仏を模した10分の1の

木造半身像が寄進されましたが

昭和48年(1973)火災により焼失。

何かに呪われてるかのように

再建と倒壊や焼失を繰り返した大仏さん。

今はほんの少しの遺構しか残っていません。









方広寺も本堂とこの鐘楼が残るのみ。

ちなみに本堂は200円で

拝観できるようでしたが

時間の都合で割愛させていただきました。









御朱印いただきました!









桐紋がどまんまか!

廣と殿はわかりますが

真ん中の文字がよくわかりません。

大仏殿の別称かな?









方広寺と豊国神社はつながっています。

京都市民にとっては「ほうこくさん」

の愛称のほうがしっくりくるかな。

ワタクシも秀吉信仰の地生まれなので

ほうこくさん、と言ってました。

写真は正面通側にある石碑。

正面通ってなんの正面だよ?

って京都へ来たばかりの頃思ったけど

大仏の正面ってことで

秀吉がつくった大通りのようです。

今は豊国神社周辺のみ広くて

そこから先は路地みたいな

狭い道になっちゃってます(ノ_・。)










以前、来た時はすごく寂れた感があって

戦いに負けた者って

こういうことなのかと

しみじみ感じたものですが

この日はフリマをやってたみたいで

それなりに賑わいがありました。









秀吉死去の翌年、慶長4年(1599)

方広寺の東方の阿弥陀ヶ峰に葬られ

その麓に廟所を建立したのが始まり。


正一位の神階を与えられ

鎮座祭が盛大に行われました。









桐紋にひょうたん型の絵馬!

太閤さんって感じがする。

この唐門は伏見城の遺構と伝えられ

二条城から南禅寺の金地院をへて

ここに移築されたものです。

国宝三唐門のひとつだそう。







豊臣家が滅亡してからは

徳川幕府により廃絶され

大明神の神号も剥奪されました。

残された本殿は

朽ち果てるまで放置されましたが

ご神体は持ち出されて

隠し祀られていたそう。

写真の奥が現在の本殿です。

唐門から先は入れなくなっていましたが

以前、来た時は結婚式をしてはりました。

明治天皇の勅願により

明治13年(1880)現在地に再興されました。









御朱印いただきました!








豊国大明神の神号を中心に

「壽比南山・福如東海」とあります。

これは秀吉公関白印の御銘だそう。

「寿命も福もともに仙人と同じように永く多かれ」

という、おめでたい名前ですって。

ネット情報では、中央には「関白」と

書かれていることが多いみたい。

もらった御朱印の説明にも

そう書いてありましたが

ワタクシが頂いたのは神号のもの。

しかも、桐紋がゴールド:*:・( ̄∀ ̄)・:*:









それは、御朱印帳を購入したからかな?

京都の神社でまだ御朱印もらってなくて

いい感じの御朱印帳探してたのデス!









この御朱印帳、本でもネットでも

見たことない\(゜□゜)/!

と興奮して買ったのですが

ビニールカバーの下にある

豊国祭礼図屏風の絵は

ポストカードでした(´・ω・`)









カバーを取るとこんな感じ。

黒地に桐紋、左側のはなんだろ??

これはこれで、シブくていいな。

でも、ポストカード入れたほうで

とりあえずは持ち歩こう。








さて、次は南にさがって

三十三間堂編へ続きます〜