晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

第3回御朱印オトメ部会! いにしえの奈良の都へ(東大寺編)




興福寺からゆるゆると歩いて東大寺へ。



参道まで来ると、鹿に囲まれてしまいました。







せんべいは持ってないの〜









あ、そう。と、素通り。



ゲンキンなものですな( ̄ー ̄)










このあと、もらった地図をガブリと



食べられてしまいましたヽ(`Д´)ノ



さらにお土産の入ったビニール袋をクンクン…。



コンビニの袋とか紙とか狙われるので



バッグの中に入れましょう!



ワタクシは御朱印帳袋をガブリと



されそうになりました…(°д°;)









南大門が見えました!



でかーい! そして、ふるーい!!



色の塗り替えがされてないからか



とても年季が入っている感じがします。



建仁3年(1203)、重源上人によって



再建された、日本最大の山門です。










菊のもーん!



聖武天皇の発願により創建されたので



天皇家とゆかりが深いのですね。









2体の仁王像もおっきーいです!



人と比べると大きさがよくわかりますね。



(モデルさん、ありがとうございました(^_-)☆)









大仏でーん!!



創建期に比べたらこれでも



だいぶん小さくなったようです。









大仏さまーっ!!



写真撮影はOKですが、三脚はNGです。










華厳経の教主である廬舎那仏さまです。



天平宝勝4年(752)、大仏開眼供養会が行なわれ



諸堂の造営は延暦8年(789)まで続けられました。



斉衡2年(855)の地震で頭部が崩れて修復、



その後も失火や落雷などがあり、



治承4年(1180)の平重衡による



興福寺焼き討ちの延焼を受けて



ほとんどの伽藍が焼失します。



しかし、翌年には重源上人によって復興に着手。



源頼朝の援助もあり、文治元年(1185)に



後白河法皇を導師として開眼供養会が行なわれました。



後白河法皇ってまだ生きてたんだ〜しぶとい(@_@)










こちら、大仏さまの裏側です。



鎌倉に再建された大仏さまも



永禄十年(1567)三好・松永の乱が起こり



僅かな建物を残して焼けてしまいました。



時は戦国時代、復興はすすまないまま約120年間、



大仏さまは雨ざらし状態だったとか!



元禄5年(1692)幕府の許可を得て



大仏開眼供養が行なわれました。



それが現在の大仏さまになります!



江戸時代の奈良は、力が弱まっていた…



と思っていましたが、江戸再建に関わった



公慶上人の尽力や徳川綱吉の母、桂昌院らの



援助によって、再建までこぎつけたのですね。



頑張っている方は、いつの時代もいるものです!









大仏さまといえば、柱くぐり!



…すいません、全然知らない方なのですが



あまりに面白い構図だったため激写!



大人がやっているのを初めて見ました(^_^;)



これ、くぐると何の御利益があるのでしょう?









御朱印いただきました!



後ろは真っ暗ですが、大仏さまです。



華厳宗なので、華厳と書かれています。









は、はみだしておる〜!



ダイナミックな筆遣いは



大仏さまを思わせるかのようですヽ(;´ω`)ノ










大仏殿を出て二月堂まで歩いてきました。



ここにも御朱印があるのですが…



ここでタイムアップ。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。



ランチの予約時間があるので



泣く泣く、外観のみ撮影。











こちら二月堂向かいにある四月堂。



こちらも御朱印あるのですよね〜



さらに、通常は公開されていない俊乗堂が



1月14日〜2月末まで特別公開中!



こちらにも御朱印が2種類あったはず。



せっかくのチャンス、行きたかったな〜。。。






残念な気持ちは置いて



お楽しみのランチ編へ続きます。