晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

延暦寺

$京のKOTO始め




歴史にたびたび登場する延暦寺


先日行った奈良の興福寺を合わせて


南都北嶺」と呼ばれるほどの力を持っていたそうで。


政治的影響力も強かったとか…( ̄□ ̄;)




延暦寺とは、点在する東塔、西塔、横川など


三塔十六谷の総称。


今回は時間の都合で東塔のみ見学しました。





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比叡山の始まりは、伝教大師最澄が789年、


現在の根本中堂の場所に小寺院を建立したこと。




桓武天皇最澄に帰依し、


京都の鬼門(東北)を護る国家鎮護の道場として栄えました。


桓武天皇時代の年号「延暦」を賜ったのは


最澄没後の824年。




鎌倉時代から名僧を輩出したものの、


その結果(?)寺を二分する抗争となり、


自然にできたという「僧兵」。




白河天皇が「心のままにならぬもの」というほど


強大な力で「独立国」状態だった延暦寺


室町時代には足利義教によって制圧されました。




しかし義教死後、再び僧兵軍を強化。




戦国時代には足利義稙と組んだために、


細川政元に焼き討ちされ、


戦国時代後期には、朝倉・浅井両氏をかくまって


織田信長の逆鱗にふれ、焼き討ちされました。





信長の死後、秀吉や家康によって再興され、


現在の根本中堂は寛永19年(1642)、


家光の寄進により再建されたものです。





ふう〜、お寺とはいえ、戦争、戦争です…ヽ(;´ω`)ノ


将軍や天下人を相手に、武力のみならず


物資の流通も握って財力もあったとか。


そりゃ、強訴もするってもんですかね…(-"-;A




数々の名僧を輩出しているだけあって、


教育機関としてもレベル高いんでしょうね。





しかし、名僧が多かったがゆえに(?)


対立し分派し(円仁の山門派、円珍の寺門派)


結果「自然に」僧兵ができてしまった、というのは


時代的に仕方のないことなのかあ…( ̄ー ̄;?




宗教的なことより、


今では考えられない「お寺の武装化」について


興味津々なわたくしなのでした…(;^_^A




お寺って、心静まる穏便な場所だと思ってたけどなあ〜


こういった歴史もあるということですね*1




ちなみに、延暦寺のHPには


武装化の歴史は触れられていません。


信長の焼き討ちについてはありますが…


これだけ読むと「信長めっ(゙ `-´)/」と思うかも…?






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こちらは根本中堂の向かいにある文殊楼。


寛文8年(1668)の火災の後に再建。


文殊菩薩を安置する階上に上がれますが、


階段が急すぎてビックリ…ヽ*2


降りる時にヘンな筋肉使ったのか


その後イタかった…・°・(ノД`)・°・


景色がいいわけでもないので、


身体に自信のない方は登らぬように…。(´д`lll)




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法華総持院東塔と阿弥陀堂は1980年に再建。


新しいと思った!



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清々しい音が聞こえる水琴窟は


阿弥陀堂の前にありました。


武装化の歴史についてはちょっと中断して


耳を澄ましてみる…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:




武力を持つお寺ばかりではないと思いますが


壮大な伽藍で力を見せつけてくれた延暦寺


西塔と横川に行ってないので


「(将軍風に)制圧した!」とは言えないかな…(^▽^;)?

*1:>д<

*2:◎д◎