晴れときどき御朱印      from yumimi*

『かわいい京都 御朱印ブック』『京都の隠れた御朱印ブック』著者、御朱印オトメ部主宰の西村由美子(yumimi*)のブログ。京都のほか近畿地方を中心に巡った寺社の歴史や御朱印の情報を不定期にお届けします♪

方広寺と豊国神社

$京のええもん♪ by yumimi*



国立博物館の裏にある豊国神社。

「ほうこくさん」でおなじみの

秀吉公をご祭神とした神社です。





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大鳥居の奥には、神社には珍しい

豪奢な門がありました。



国宝の唐門は

西本願寺、二条城と並ぶ

三大唐門のひとつだそうです。



この日は結婚式が行なわれていたので

本殿は参拝しませんでした(^^ゞ








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そしてお隣の方広寺へ。



天正14年(1586)、豊臣秀吉

東大寺の大仏に変わる大仏を

京都につくろうとしたのが始まり。

当時、奈良の東大寺の大仏は焼失していたそう。



天正16年(1588)建立が始まり、

大仏殿は文禄4年(1595)に完成。



しかし翌年の慶長元年(1596)、

伏見の大地震で大破。

大仏殿は再建されたものの、

完成を待たずして秀吉公は死去。

同年、大仏不在のまま開眼供養されました。



慶長5年(1600)、徳川家康のすすめもあって

豊臣秀頼が再建を開始。

慶長17年(1622)にほぼ完成。

家康が大仏殿の建造をすすめたのは

豊臣家の富をうしなわせるためだったとか…(゜д゜;)



そして問題の鐘楼です。

「国家安康」「君臣豊楽」があり、

これを知った家康は

「家康の2文字が引き裂かれている
豊臣家のみ繁栄を願っている」

と因縁をつけ、大阪夏の陣を起こし、

豊臣家を滅亡に導いたという。




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問題の部分はわかりやすく白く囲ってあります。



その後も災難が続き、

寛文2年(1662)地震にて小破。

徳川家によって改鋳され、

変わりに木像の大仏が安置されたが

寛政10年(1798)落雷で焼失。

天保14年(1843)に木像半身の大仏像が祀られたが

昭和48年(1973)火災で焼失。

現在は本堂と大黒天堂、鐘楼が残っているのみ。



鐘楼には天井画が画かれていて

在りし日の豊臣家を思わせますが、

現在は鐘楼くらいしか見所もなく、

「つはものどもがゆめのあと」(場所違いますが…)

といいたくなるような寂しさでした(。>0<。)



秀吉亡きあとは、方広寺近くの

阿弥陀ヶ峰に埋葬され、

その麓に鎮守社として豊国神社が建てられました。



秀吉の遺言としては、

東大寺の大仏に倣い、

自身を八幡として方広寺に祀るように、とのことでしたが

結果として方広寺とは別の存在となり、

神号も大明神となりました。



秀吉の遺言以上?に手厚く祀られましたようですが

彼の願いとしては、

大仏になって皆に手を合わせてもらいたかったのかしら?




少し小高いところにある豊国神社の鳥居。

ここからまっすぐ西へ伸びる道路は

「正面通り」といわれています。

正面って、何の正面?って思ったら

この大仏のことだったらしいです。

なんだか、豊臣家の大仏への

コダワリを強く感じますネヽ(;´ω`)ノ



しかし、それが仇となって?家康に

仕掛けられ、それが一家滅亡になったのですから

コダワリすぎるのも考えもの?だったり。



歴史から学ぶことは多いですね:*:・( ̄∀ ̄)・:*: